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里枝子のエッセイ

心をつなぐラジオ 里枝子の窓

(社福)東京ヘレンケラー協会発行「点字ジャーナル」2009年5月掲載

 「こんにちは!広沢里枝子です。」
 マイクに向かって、そう呼びかけると、目の前にぱあっと窓が開いて、この時間を待っていてくださる聴取者の方たちの笑顔が見えてくる気がします。
 私が信越放送で毎月1回担当しているラジオ番組「里枝子の窓」では、目の見えない私と盲導犬との日常の体験をありのままに伝えながら、子育て、福祉、共に生きる街づくりを問いかけてきました。番組を聞いて、心のこもったお手紙をくださる方々もあり、ラジオは、見た目にとらわれずに心をまっすぐに伝えあえる貴重な媒体だと感じています。
 また、番組では生き生きと地域で暮らす障害のある人々や、共に働く人々、独自の問題意識をもって活動に取り組む人々などから、毎回、人生にふれるお話を伺っています。
 この稿では、「里枝子の窓」の歩みを紹介しながら、私たち障害者が、広く社会に発信していくことの意義を考えたいと思います。

ラジオの世界へ

 私は結婚のために信州に来て、出産後、まもなく失明しました。初めの頃は独りで歩くこともできませんでしたが、その暮らしを大きく変えたのが盲導犬です。当時はまだ、行く先々で入場拒否にあいましたが、盲導犬のいる風景があたりまえになるまで街へ出ようと決意していました。 私が信越放送のアナウンサーだった岩崎信子さんに出会えたのは、その頃でした。岩崎さんは「里枝子の窓」を企画し、その後も番組の制作者として、私を育て、支え続けてくださっている方です。
 岩崎さんは最初、盲導犬の取材のために私の家に来て、私たちが様々な障壁に直面していることを知り、ラジオにできることがあるのではと考えてくださいました。
 その後、準備期間を経て、1991年4月から「里枝子の窓」はSBC上田放送局制 作の東信ローカルの15分番組としてスタートしました。
 すると、聴取者から共感のメッセージをいただくようになり、「里枝子の窓 」は、30分の全県放送へと発展しました。
 一主婦にとって、ラジオの仕事は一回ごとが冒険でした。初めてのトーク。初めての朗読。取材旅や公開録音など、毎回どきどきしながら全力で挑戦してきました。

私たちのスタンス

 「里枝子の窓」は、障害者も非障害者も両方が交われる窓口でありたいということと、中央から地方へという発信の流れの中で、長野県の東信地区に根を下ろし発信していくことをスタンスにしています。派手なイベントよりも、地道な日常の積み重ねに光を当て、登場される方の生きるパワーにふれるお話を聞きたいと心がけてきました。

人の輪を広げるラジオ

 私たちの番組には、次々と紹介したい方が現れます。「協力者を募りたいので、番組で呼びかけさせて」とか、「自分のつくった歌を、みんなに聞いてほしい」などの声が地域の方たちからかかるとき、発信の窓口として番組を活用してもらえることを、何より嬉しくおもいます。
 特に「里枝子の窓」には、この18年間に、様々な障害をもつ方たちが、多数出演してくださいました。同じ立場にある私とのトークの中で、心を開き、のびやかに語っていただいた言葉が、聴取者の方々へと届いて、支援の輪が大きくひろがった嬉しいケースもあります。
 たとえば、さわやかな番組のテーマ曲は、佐久市在住の音楽家、土屋竜一さんの作品です。土屋さんは進行性の筋ジストロフィーと闘いながら、シンガー・ソングライターとして活躍してきましたが、気管切開を受け、大切な声まで失いました。しかし、土屋さんの肉声は、最後に「里枝子の窓」で放送され、その後も彼は、スピーキングバルブを喉に装着して、人生の節目ごとに番組で語ってくださっています。
 また、全盲の南沢はじめさんは、番組への出演が縁で、専業農家の主婦から声がかかり、農家のお座敷でバイオリン・コンサートを開きました。人と出会い、音楽を伝える楽しさを知った一日だったそうです。それから彼は、信州の各地でミニコンサートを続けながら、「音楽教師になりたい」と夢を持ち続け、見事、教員採用試験に合格。多くの聴取者から、祝福のメッセージが寄せられました。
 私自身も、聴取者から声をかけていただき、スタジオを飛び出して、学校や地域で「お話の旅」を続けています。このように、「里枝子の窓」は小さな番組ですが、回を重ねるごとに、語り手と聴取者、障害者と非障害者のバリアフリーの役割を果たしています。

さらに明日へ

 私たちの生の声を伝えてきた番組が、いつの間にか18年の歳月を刻んでいました。休廃止の論議もありましたが、聴取者が、番組の存続を願って、たくさんの署名を集めてくださったこともあります。聴取者の支援に支えられての18年でした。
 上田点字図書館のボランティアグループ「デイジー上田」では、毎年1年分の放送を収録したデイジー図書「里枝子の窓」を製作しています。このデイジー図書によって、番組の内容は、全国の視覚障害の仲間に聞いていただけるようになりました。
 ところで、NHKラジオの「視覚障害者のみなさんへ」が、新年度から、目の不自由なキャスターを迎えてリニューアルするとのニュースを読み、放送のバリアフリー化にとって、大きな前進だと感じました。私は以前から、障害者が自ら発信する番組が日本の各地で生まれてほしいと夢を抱いています。
 国連での「障害者権利条約」制定にあたってのスローガンは「私たち抜きで私たちのことを決めないで」でした。放送の分野でも、私たちに関することは、私たちが企画段階から参画し、自ら発信し、ネットワークを広げていくことが、非常に重要だと考えます。ラジオには、もっともっとできることがあると思うのです。