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里枝子のエッセイ

ジャスミン、明日に向かって歩こう(1)

(「信州発産直泥つきマガジン たぁくらたぁ38号」掲載)

 今日は、上田市に仕事に行った帰りに、贈り物を買いに寄り道をしたら、方向がわからなくなってしまった。
 「すみませんが、道を教えてください。上田駅は、この方向でよいでしょうか?」
 足音が聞こえるほうに向かって声をかけると、若い女性の声が答えてくれた。
 「いいえ。駅は、ちょっと戻って左です。駅まで一緒に行きましょうか?」
 「ありがとう!方向を教えていただいたので、後は盲導犬と行かれます」
 私は、笑顔でそうお礼を言ってから、ジャスミンに「バック」と指示を出し、しなの鉄道などを乗り継いで、東御市の山懐にある家へ無事に帰ってきた。
 このように私は、数えきれないほどの人に協力していただきながら、4頭の盲導犬と力を合わせて長年歩いてきた。もちろん盲導犬は、目的地を言えば、自動的に連れて行ってくれる魔法の犬ではない。私達、目の見えない使用者が、頭に地図を描き、盲導犬に指示を出しながら歩いている。自分が慣れない場所や、方向がわからなくなったときには、人に助けていただくことも多い。盲導犬も、犬らしい失敗をするので、そんなときには、その場で叱り、やりなおさなくてはならない。
 けれども、盲導犬歩行の素晴らしいところは、思ったときに自力で出かけて行けること。心のままに、まずチャレンジできることだと私は思う。そして、我が子のようにかわいい盲導犬と風を切って歩くのは、とっても楽しい。
 私は、26才の頃、出産後に失明し、自力では外出できなくなった。まるで闇の檻に閉じ込められたような日々だった。このままでは自分の限界の中に子供を閉じ込めてしまう。何とかして子供たちと人の中へ、自然の中へ、出かけたいと切実に願って、盲導犬を持った。
 「幼い子供のいる母親ほど、盲導犬と歩き回る人達はいません」と、訓練士さんから聞いたが、私もまさにそうだったと思う。初代盲導犬は、キュリーという美しい黒毛の犬だった。私は、左手でキュリーのハーネスを持ち、右手で幼い長男の手を握り、次男を背負い、肩には、哺乳瓶やら、おむつやら詰めた大きなショルダーバッグをかけて、毎日勇ましく歩いた。盲導犬のおかげで、私は、いつでも子供たちを散歩に連れて行けるようになり、日常の買い物に行けるようになり、どんどん生活を広げた。
 しかし、当時は、盲導犬を見て「キャッ!」と叫んで逃げ惑う人さえいた。行く先々で入場拒否や、乗車拒否にあって私も家族も悲しい思いをした。でも、私達は出かけることをあきらめるわけにいかなかった。断られたときは、必死に説明し、資料なども届けた。なんとか入場して実際のようすを見てもらうと「ああ、本当にお利口な犬なんだね。感心しました」などと言ってくださる人もいた。
 私達が困っている実情を知り、理解しあうために、何かできないかと考えてくださった方達もあった。そのおかげで私は、SBCラジオで「里枝子の窓」という番組を担当することになり、各地へお話の旅に出かけた。
 このようにして、それぞれの盲導犬使用者が、道を拓きながら歩き、多くの人の協力があって、日本では2002年に「身体障害者補助犬法」が制定された。そして現在、盲導犬をはじめとする身体障害者補助犬への理解は、以前より確実に広がったと感じる。
 しかし、まだこんなことがあるのか!と、非常に残念なことが今もある。昨年は、私自身、3度も盲導犬の同伴拒否にあった。その一つは、前号で書いた「たぁくらたぁ」編集部の方達との福島の旅で起きた。編集部で予約しようとした民宿で、盲導犬の同伴を断られてキャンセルしていたことを私は最近になって聞いてショックを受けた。しかも、そのオーナーは、社会問題への意識の高い方だそうだ。そのときに私に話してもらえれば、全力で説明したのにと思う。それでもわかってもらえなければ、福島県の補助犬相談窓口に相談して、「身体障害者補助犬法」について説明してもらい、理解してもらうチャンスにできたかもしれない。
 住民にとって安全で住みやすい環境を守るために運動することと、盲導犬への理解を深めることは根っこは同じではないだろうか。お互いの立場を理解し、少しでも視野を広げるために、この小さな連載が役立てばうれしい。