ここから本文です。

里枝子のエッセイ

てっちゃん

2014年12月

 昭和40年の夏。私が小学校1年生のときに私の家族は、沼津市の西島町《にしじまちょう》にあった社宅に引っ越した。その社宅は、父が技術者として働いていたコンクリトパイル工場の広い製品置場の前にあった。
 そこへ引っ越してから、私は近所に初めて友達ができた。それは年上のてっちゃんという少年だった。私は、学校では、見えにくいことが障害になり、とまどうことや淋しい思いをすることが多かったが、家に帰ると、弟を引き連れて外へ飛び出し、てっちゃんと遊び回っていた。この時期に焦点を当てて記憶をたどっていくと、水に映る風景のように、色彩をもって生き生きと蘇ってくる情景がある。
 その社宅の北側の窓からは、長屋のような古い木造アパートが見えた。アパートの窓ガラスはどこもかしこも割れていて、割れた所に段ボール紙や、様々な色のビニールテープが貼り付けてあった。間もなく私と弟は、このアパートの住人、てっちゃんと仲良しになった。
 てっちゃんは、ひょろっとした背の高い少年で、半ズボンにランニングシャツを着て、とにかく身軽だった。
 てっちゃんとの最初の冒険は、今でもありありと覚えている。なんとてっちゃんが、自分の父母の夫婦喧嘩を、私と弟に生で見せてあげようかと言い出したのだ。喧嘩が始まったら、てっちゃんが、すぐに呼びにくるので、音をたてずについてくるようにということになった。
 夏休みのある日、私と弟は、心臓をばくばくさせながら、てっちゃんの後について行った。アパートの薄暗いコンクリートの廊下を恐る恐る進んで行くと、右側に、てっちゃんの父母の怒鳴り声が、がんがんと聞こえてくる部屋があった。
 てっちゃんの合図で、私たちがくっつくように傍に行くと、てっちゃんが細く扉を開けた。その隙間に私たち3人は片目ずつ当てて、そっと中を覗いた。部屋には布団が敷きっぱなしで、私はてっちゃんのお父さんのステテコ姿をちらっとだけ見た気がする。その次の瞬間、バン!という、物が投げつけられたような大きな音がして、私たちは我先にと駆け出していた。3人とも、息を止めたまま走ったのかもしれない。明るい所に出た時は、はあはあと息をついて、それから3人で笑った。
 こうして私と弟は、てっちゃんと一緒なら、何でもできそうな気がしてきた。わくわくしながら、てっちゃんについて歩くようになり、父から絶対に入ってはいけないと言われていたコンクリートパイルの製品置場にも、入り込んで大胆に遊び回るようになった。
 想い出すのは、グレイがかった大空を背景に、積み上げられた土管の山から山へ、ひょいひょいと身軽に飛び移っていくてっちゃんの後姿だ。てっちゃんは、時々土管の山のてっぺんに腰かけて、風に吹かれながら、私と弟が追いつくのをのんびりと待ってくれていた。私の視力が弱かったせいか、てっちゃんの顔だちは思い出せないが、思い出の中のてっちゃんは、いつも白い歯を見せて、にっと笑って、私と弟を見守ってくれていた。
 私たちは探検隊だった。隊長はもちろんてっちゃんで、私と弟は、てっちゃんを全面的に信頼する忠実な隊員だった。探検隊は、野蛮人たち(大人たち)に見つからないように細心の注意を払いながら、土管の山から山へと勇敢に前進した。
 隊長のてっちゃんは、山のてっぺんからてっぺんへ、軽々と飛び移ることができた。山のてっぺんで見張りをして、野蛮人の襲撃を知らせてくれた。一方、身軽とはほど遠い私たち隊員は、土管の山をだいぶ山すその方まで這い降りて、そこからえいっと隣の山へ飛び、また這い登ったりして、てっちゃんの後をついて歩いていた。弱視の上に無鉄砲だった私は、下が見えないまま飛び降りたり、距離がわからないまま向こう側の土管にぶつかるような格好で飛びついたりしていた。それでいて、怖いなどとは少しも思わなかった。
 爽快なおもしろさだった。
 私たちは、あちこちの土管の中に、秘密の基地もつくった。太い土管は雨の日も一緒に過ごせる素敵な家になったし、這って入るような細い土管の中は、宝物の隠し場所になった。私たちは資材置き場から拾ってきた色々な物や、家からこっそり持ってきたものを、せっせと土管の中へ運んだ。母にもらうおやつも、何かと理由をつけて家では食べず、基地に運んで3人で分け合って食べた。狭い土管の中で、3人で体をくっつけあうようにして、クスクス笑いながらおやつを食べた情景を思い出す。あの頃の私たちは、木の間を飛び回り、好きな所に巣をつくる、自由な虫たちみたいだった。
 てっちゃんと私と弟は、夏も秋も、力いっぱい遊び回っていた。それなのに、冬のある日を境に、その後、てっちゃんの姿を見た記憶がない。
 冷たい風のなかに黄色と黒の縞模様のクレーン車が、一頭の背の高いキリンのように止まっていた。てっちゃんはそのドアが開くことに気付くと、高いステップに軽々と足をかけ、運転席の中へ滑り込んだ。鉄の重いドアががちゃんと閉まった。
 私が心配でたまらない気持ちで待っていると、てっちゃんはクレーン車の窓から首を突き出して、「このクレーン車 動くよ!早くあがっておいでよ!」と叫んだ。
 しかし、私は珍しく尻込みした。私には、そのクレーン車がいかにも厳めしく恐ろしく見えて、触ってはいけない父の仕事の道具だと思い出したためだった。
 そこへ一人のおじさんが、血相を変えて駆けつけて来た。
「この餓鬼!」
 おじさんは、てっちゃんにひどい言葉を浴びせかけた。それは私や弟が一度も言われたことのない言葉だった。おじさんは、てっちゃんをクレーン車から引きずり下ろすと、前に引き据えて延々と叱った。あきらめきったように項垂れていたてっちゃんは、いつもの颯爽としたてっちゃんとはまるで別の少年のように急に小さく見えた。おじさんは、私と弟には、ただ先に帰るようにと言っただけだったように思う。
 私は悔いた。あの時、勇気を出して、すぐにクレーン車に乗っていたら、あんなふうにてっちゃん一人が叱られることにならなかったのにと思った。私は、てっちゃんを裏切ったんだと感じてしまって、いつまでも悲しかった。
 それからだいぶたったある日、工場から帰ってきた父が、急いで台所に行って、母に話しているのを私は聞いた。話の内容は、工場の外にある手洗い場の石鹸が、この頃置いても置いても盗まれる。盗んでいるのはアパートの子供らしいと聞いたが、まさか里枝子たちが仲良くしているあの子じゃないだろうねというものだった。母は「まさかそんなことないわよ」と言ってくれていた。
 私も、絶対に絶対にてっちゃんじゃないと思った。でも、絶対にと思えば思うほど、もしかしたらという不安が頭をもたげて、胸が騒いだ。大勢の大人たちが出入りしている工場のあんな傍まで行って、石鹸をとってくるなんて、そんな大胆な難しそうなことができる子が、てっちゃんの他に、あのアパートにいただろうか。
 おじさんに叱られて、しょんぼりと項垂れていた、てっちゃんの絶望的な雰囲気を思い出した。いくらてっちゃんだって、あんなふうに罵られたら、工場の人たちを嫌いになったって、仕方ない気がした。
 それに、あの大きな怖そうなてっちゃんのお父さん…。あんなおじさんに拳を振り上げて怒鳴られたら、私だって、きっときかないわけにいかない。どんなに嫌だと思っても、体が震えるほど怖くても、石鹸をとりに行くしかないのではないか。そんなことをぐるぐると考えるうちに、おじさんに拳を振り上げて脅されているてっちゃん、肩を落とし、闇にまぎれて出かけていくてっちゃん、震えながら石鹸に手を伸ばすてっちゃん、そんなてっちゃんの姿を目の前に見たような気がしてきた。その一方で、こんな疑いを抱くなんて、友達じゃない気がして、一層悲しくなった。
 それからも、このことは私の心を離れず、思い出しては考えるうちに、なぜ私とてっちゃんは、こんなに立場が違うんだろうかという疑問が芽生えはじめた。実際、私の家の洗面所の上の棚には、きれいな箱に入ったいただきものの石鹸が、たくさんしまってあった。
 それなのに、この同じ石鹸のことで、泥棒と思われたり、泥棒せざるをえない子がいるのはなぜだろう。
 私は、こっそりと踏み台を持って行って石鹸のしまってある棚の中を調べた。箱を開けると良い匂いがして、ちゃんと石鹸が入っていた。私は、もしもてっちゃんが石鹸をとってこいと言われて困っていると私に打ち明けてくれることがあったら、この石鹸を黙ってとって、てっちゃんに持っていってあげようと心に決めていた。
 思い出を綴りながら、私はかつて見ていたもの、2度と見ることのできないものを、ここに写しとろうとして書きつけているのだと気づいた。
 あのときの心優しい少年は、今どうしているだろうか…。

*日本盲人会連合主催「第40回全国盲人文芸大会」随筆の部第1位受賞