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里枝子のエッセイ

私がふれた・感じた沖縄 第2話

里枝子: こんにちは。広沢里枝子です。私は、「第4回ぬちぐすいツアー」に参加して、今月の9日から13日まで、沖縄へ旅をしてきました。今回は、その旅の様子を岩崎ディレクターとおしゃべりしながらお伝えします。「ぬちぐすいツアー」は、長野市と那覇市と両方に拠点をもつ野池道子さんが、沖縄の素晴らしさを友人たちに伝えたいと願って企画しているツアーです。
 野池さんは、私と学生時代からの親友の神山朝子さん、2人のために、私達の希望を汲んで、今回のツアーを企画し、全力でサポートしながら、一緒に旅をしてくださいました。
 旅のテーマは「沖縄は、歌三線(うたさんしん)の島」でした。

岩崎: 里枝子さん、お帰りなさい。

里枝子: おかげさまで無事に帰って参りました。

岩崎: 2度目の沖縄の旅ですね。

里枝子: はい、4年ぶりです。私は、三味線が好きで、ごぜ唄を習っているのですが、沖縄の人々が生活のなかで三線を楽しんでおられるようすを前の旅のときに感じて、これをもっともっと聞かせていただきたいという思いが、まずありました。それから、4年たって、今、沖縄の現状はどうなっているのか知りたいと思って、辺野古や高江にも行きました。

岩崎: ちゃんと録音機を持っていらしたのよね。

里枝子: はい。がんばって録音してきましたので、皆様に聞いていただきたいと思います。

岩崎: さて、沖縄の5月というのは、花は、きれいでした?

里枝子: はい。お花がいっぱいでした。特に百合が花盛りで、どこへ行ってもいい香りがしていましたし、今回、とても印象に残ったのが月桃(げっとう)というお花です。月桃は、漢字では、「月・桃」と書きます。白くて花弁のふちが桃色でひらひらとなった、かわいらしいお花です。そのかわいらしいお花が、かんざしのように連なって下がるので、「花かんざし」とも呼ばれているお花なんですね。これがあちこちに咲いていましたし、月桃のゼリーとか、月桃の葉に包まれている「なんとぅ」というお餅とか、いろいろなところで月桃にふれて味わいました。

岩崎: それでは、さっそく三線を聞かせていただきたいと思います。

里枝子: はい。最初に聞かせてくださったのは、アカナーさん、本名は、川崎善美(よしみ)さんです。沖縄本島南部の新原(みーばる)ビーチで、三線を弾きながら、替え歌ソングを歌ってくださいました。アカナーさんは、50才を過ぎてから、初めて三線を持ったそうです。平和行進に参加したときに、みんなの知っている曲に自分の言葉をのせて歌を作ることを考えついたそうです。その後、たくさんの替え歌ソングを作って平和のために歌っていらっしゃいます。そのなかから、「むかしむかしの物語」という歌を聞いていただきます。「浦島太郎」のメロディーに載せて沖縄戦と、戦後の沖縄の人々の暮らしを歌っています。新原ビーチは、きれいなサンゴ礁の海岸でした。アカナーさんは、三線を爪弾きながら、潮風に吹かれて歌ってくださったので、そんな様子を思い浮かべながら聞いていただけたらと思います。

(♪「むかしむかしの物語」浦島太郎の曲にのせて) むかしむかしそのむかし
南の島に鬼が来て
村じゅう島じゅう焼きつくし
さながらこの世の生き地獄
鉄の暴風くぐりぬけ
命からがら島人(しまびと)は
暗いガマから這い出たが
追いたてられたは収容所
DDTの歓迎に
ノミやシラミは姿消し
離れ離れの親兄弟
名前を呼んでも姿無し
帰って見ればこはいかに
元居た家も村も無く
張り巡らされた鉄条網
立ち入ることさえままならず
米軍統治の年月は
人権無視のつらい日々
勝ちとったはずの国旗さえ
県民望まぬ基地残り

岩崎: 童女のような歌声ですね。

里枝子: ええ、きれいな歌声ですよね。一般の市民の方が、こうして平和のために自分に何ができるかを考えて行動していらっしゃることに、そして、伝えたい自分の言葉をもっていらっしゃることに、本当に感動して聞きました。このとき近くにゆうなの木がありまして、ゆうなの木は、沖縄で大切にされている木です。特にこの木は、風で倒れて浜に横倒しになっていたんですけれど、根がすごく強くて、途中からぐいっと立ち上がって花を咲かせていたんです。そんな逞しい木のそばで聞いた歌でした。

岩崎: ほう、そうですか。さて、夕食は創作料理?

里枝子: はい。創作料理の「なんとぅ」で夕食をいただきました。ここは、杉本清美さんという方が開いていらっしゃるお店です。沖縄の食材を生かした、美味しくて彩のきれいなお料理でした。そこのご長男の杉本弘一さんが、お店の小上がりになった畳のところに座って、私たちのために三線を弾いて歌ってくださったんです。杉本弘一さんは、高校生の頃から三線を習っていらっしゃるそうです。古典音楽のコンクールで、最優秀賞を受けたこともありまして。

岩崎: 素晴らしいですね。

里枝子: ええ、そうなんです。

このときは、お爺様から受け継いだ三線を弾いてくださいました。「かぎやで風(ふう)」という曲です。伝統的なお祝いの歌で、結婚式などでは、必ずといっていいほど歌われるそうです。「今日のうれしさは、何にたとえられようか。まるでつぼんでいた花が、露に出会って花ひらいたようだ。」という意味だそうです。この夜のことで、もうひとつ忘れられないのは、夜香木(やこうぼく)の香りです。夜香木って、ご存知ですか?

岩崎: 夜、香る、木?

里枝子: そうなんです。夜の8時ぐらいから、白っぽい小さな花を開いて、ジャスミンみたいな甘い濃い香りを漂わせるんですね。その香りが、明けた窓から部屋いっぱいに漂う、うっとりするような南国の香りのなかで聞いた「かぎやで風」です。聞いてください。

(♪「かぎやで風」)

今日の誇らしゃやなほにぎやなたてる
蕾で居る花の露きやたごと

岩崎: 三線とともにあるっていうことが、とってもすてきですね。

里枝子: 本当にすてきですね。沖縄の三線は、400年もの歴史があるそうです。琉球の三線が大和に伝わって、琵琶法師たちが三味線に改造したそうなので、三味線のほうが、後なんですよ。沖縄では、行く先々で、三線が、広く深く人々に愛されていることを感じました。

岩崎: 三線の皮は、何を張ってあるんですか?

里枝子: ニシキヘビだそうですよ。だから、見ても、とってもきれいだそうです。杉本弘一さんは、指にバチという角製(つのせい)のツメをつけて、それできれいな音を丁寧に出していらっしゃいました。

岩崎: 深い三線の音色でしたね。

里枝子: そうですね。忘れられません。

岩崎: さて、教会にもいらしたそうですが、その教会が、またまた…

里枝子: 素晴らしかったんです!那覇から沖縄本島の東海岸をずっと北上しますと、やんばるの入り口に金武町(きんちょう)という所がありまして、そこに「金武(きん)バプテスト教会」があります。私は、前に沖縄に行ったときに、沖縄には、三線を演奏しながら琉球賛美をしている教会があることを聞きました。それを、ぜひ聞きたくて、野池さんに探していただいて、初めて行った教会でした。この教会では、礼拝のなかで、横田盛永(よこだせいえい)牧師が、三線を弾きながら、沖縄の言葉で讃美をしておられます。

岩崎: ほう!

里枝子: 子供さんからご年配の方まで、大勢の信徒さんが集まって、熱気あふれる教会でした。横田牧師は、80代だそうですが、三線を持って登場されますと、非常に盛り上がりましてね。このときは、信徒さんの若い女性と2人で演奏してくださいました。聞いてください。

(♪「安里屋ユンタ」の曲にのせて)
1、さあ沖縄よいとこ一度はおいで(サーユイユイ)
春夏秋冬やれほに花が咲くまたハレルヤアーメン感謝です
2、さあ赤いデイゴとハイビスカスは(サーユイユイ)
島の乙女のやれほにしなさきよまたハレルヤアーメン感謝です
3、さあ暑い太陽と空の青さは(サーユイユイ)
島のニセタのやれほに情熱よまたハレルヤアーメン感謝です
4、さあみつばよいとこまたんめんそーれ(サーユイユイ)
歌と踊りのやれほに花が咲くまたハレルヤアーメン感謝です
5、さあ金武の教会世果報(ゆがふ)どころ
御万人(うまんちゅ)すりとてぃやれほに笑え福いまたハレルヤアーメン 感謝です

(♪「天の神様に感謝」カチャーシーの曲にのせて)
1、天の神様に助き救わりてぃよウネ
新たなる命スリ受きる嬉しゃメデタイ
ニフェーデービル感謝デービルウネまたメデタイ
2、神知らん時や罪ぬ身どぅやしがよーウネ
今(なま)や許さりてぃスリ感謝びけいメデタイ
ニフェーデービル感謝デービルウネまたメデタイ
3、哀り苦しみや喜びに変わてぃよウネ
世ぬ宝ゆいかスリ遥か優てぃメデタイ
ニフェーデービル感謝デービルウネまたメデタイ
4、うふぃな御恵みやただ戴(しでぃ)てぃなゆみよウネ
でちゃよ押し連りてぃスリ人に知らさメデタイ
ニフェーデービル感謝デービルウネまたメデタイ
5、互に肝合わち祈る真心やよウネ
天ぬ神様やスリ御聞ちみせんメデタイ
ニフェーデービル感謝デービルウネまたメデタイ

岩崎: 賑やかですね。皆さん、やっぱり踊るんでしょう?

里枝子: そうなんです。最後は、カチャーシーも飛び出しましてね。みんなが次々に前へ出て行って、踊っておられました。「今、80代の方が踊っていらっしゃいますよ。あっ、次は、若者が出ました。次は、子供さんですよ」なんて、私の隣りで横田牧師の奥様が解説してくださって。しまいには、野池さんと、私の友人の朝子さんも踊ったんですけどね〜

岩崎: まあ!

里枝子: 沖縄でも、歌三線で讃美をするのは、珍しいそうですけれど、横田牧師のお話によりますと、実は、イスラエルでは、3000年も前から、三線の起源である「三糸の琴」(ヘブライ語でシャリーシュ)を使った賛美がおこなわれていたことが、旧約聖書の中に書いてあるそうです。だから、特別なことではなくて、人々がずっと昔から続けてきた民謡による賛美をここで再現しているということでした。

岩崎: それから、ハプニングがあったんですよね、里枝子さん。

里枝子: はい。私達、北部のやんばるで台風にあったんです。私達は、公民館に泊まっていたので、夜の間は、暴風雨に揺さぶられましたけれど、それでちょっと予定が変わって、おもしろいこともありました。前の晩に、公民館の館長さんたちが会いに来てくださったときに、「台風が来る前に、小学校へ行って、盲導犬の話をしてくれないかなあ」という話が出たんです。それで、夜のうちに話が決まりまして、次の日の午前中には、佐手(さて)小学校に、盲導犬のジャスミンと、旅の仲間になったみんなで出かけました。そばに海があり、川があり、森がある、全校で12人という小さな小学校なんです。みんなして気持ちよく迎えてくださって、私の話を全校で聞いてくださいました。

岩崎: はじめてジャスミンを見て、子供たちは、どうだったのかしら?

里枝子: 驚いていましたし、すごく一生懸命にジャスミンを見て、話を聞いてくれました。私への質問のなかで、沖縄の子らしいなあって思ったのは、「お魚が見れなくて悲しくない?」って聞いてくれた子がいたんですね。目が見えないために、あのきれいに泳ぐお魚を見れないなんて、どんなに悲しいだろうって考えてくれたんでしょうね。そのくらいきれいな海と、お魚を見ながら生活している子供たちなんだなあと思いました。帰るときも、「ねえ、お昼食べてかない?」とか、「また、来てくれる?」とか言って、みんなして私にさわってきてくれて、愉しい時間を過ごしました。

岩崎: そうでしたか。そして、辺野古の海にも行かれたんですね。

里枝子: そうです。辺野古に4年前に行ったときは、米軍のキャンプ・シュワブを囲むコンクリートの巨大な隔離壁の建設中で、その土台を造っている最中でしたが、まだ辺野古の美しい海は見れたんです。ですが、今はもう、米軍キャンプ・シュワブのゲート前から海は見えないですよ、と言われました。

岩崎: あら、そうなんですか…

里枝子: はい。だから、ぐるっと回って、対岸の野嵩村(のだけむら)の浜のほうから辺野古の海を見たんです。辺野古のきれいな海には、オレンジ色のフロートという浮き具が線になって浮いていました。ここからは基地を造る予定地だから、関係者以外、入ってはならんという境界線が、海の上にがあっと引かれているわけです。野池さんの話ですと、このオレンジ色のフロートの位置が、見る度に移動して、予定地の範囲が、ぐんぐん広がっているそうです。ここから、ここまで広がってきているんですよというのを野池さんに一緒に歩いて教えてもらって、これはたいへんなことだと実感しました。

岩崎: なるほど…

里枝子: それから、北部から南部に戻るときには、嘉手納基地の中の道をずうっと車で通りました。嘉手納基地は、極東最大の米軍基地と言われているそうで、実に広大なんですね。

岩崎: 行けども行けども基地という感じですよね。

里枝子: 本当に、行けども行けども基地でした。子供が、途中でおしっこなんて言いだしたときには、お店もなければ、寄るところもなくて、困ってしまうくらいずっと基地なのよって、そんなお話を聞きながら、ここの広さは、車で走って体験しました。

岩崎: 5月17日には、沖縄で、米軍普天間飛行場の辺野古への移設計画阻止を訴えるという県民大会が開かれて、参加者は、約35000人という発表になっていましたよね。

里枝子: そうですね。本当に、もう基地はいらない!という皆さんの意志が、あちこちで伝わってきました。北部の高江にも行ってお話を聞きましたが、沖縄本島は、北部、中部、南部と分けた場合、北部の東側のほぼ半分が、すでに米軍の広大な訓練基地になっているんですって。そこは自動車で言えば、教習場みたいなものですから、これから免許を取ろうという人たちが、飛行機に乗る訓練をしているわけじゃないですか。

岩崎: うわあ…

里枝子: だから、住民の方々は、いつ落ちてくるかわからない恐怖のなかで暮らしていると伺いました。更に高江は、その小さな集落をぐるっと囲むようにして、ヘリコプターが離着陸するための6か所のヘリパッドを増設することが決まってしまっています。4年前に高江に行ったときには、まだできていなかったんですけどね。今は、2か所はできてしまったそうです。ですが、8年間にわたる反対運動がなければ、もうとっくに6か所全て完成して、激化する訓練に人々も、この森も、さらされていただろうとのお話でした。こうした実情をどうしたら多くの人にわかってもらい、共有してもらえるか。自分たちのこの国でおきていることですから、本当に考えさせられました。先に音楽でご紹介した「金武バプテスト教会」でも、「我が国に戦争がおきませんように。また、我が国が戦争をおこさないように守ってください。我が国の指導者たちが、道を誤りませんように」と、全員で熱心にお祈りを捧げておられました。その「我が国」と思って日本を愛してくださる取り成しのお祈りを聞いていましたら、私は、涙があふれて仕方ありませんでした。

岩崎: 今回の旅で、特に心に残ったことをまとめてみてくださいますか?

里枝子: そうですね。いっぱいあるんですけれど、まずは、歌三線が、沖縄の皆さんの暮らしに浸透していて、愛されていることを感じました。お酒を飲めば三線を弾く、人が集まれば三線を弾くというふうで、沖縄の人々の心ですよね。そのことを間近で感じました。旅の最後には、沖縄県の点字図書館にも寄りましたが、沖縄の盲人の方では、三線を弾く方が、いっぱいいらっしゃるそうです。

岩崎: へえ!

里枝子: 私、ずっと探していたのが、三味線の点字楽譜なんですが、「山ほどあるよ」って言われて、ここにあったのね!って、びっくりしました。三線のことは、もっともっと知りたいです。それから、私は、沖縄の人々の「おもてなしの心」を感じました。琉球の人々は、芸能を携えて、大和に行ったり、中国に行ったりしながら、平和外交をしてきた歴史をもつ人々ですよね。本当にどこへ行っても、まるで遠来の親戚のように温かく迎えていただきました。野池さんのお友達はもちろんのこと、たとえば首里城へ観光に行ったときでもそうなんですよ。琉球の民族衣装で案内してくださった女性は、団体でのガイドが終わると、すぐに私のところに来て、「何かおわかりにくいところがありませんでしたか?」と聞いてくださいました。また、首里城の売店で、宮古島のみんさー織のポーチを選んだときに、「みんさー織って、どんな模様ですか?」って聞きましたら、その売店の女性は、柔らかな布の上に紙を置いて、上からぎゅっと型押しをして、模様をさわってわかるようにして説明してくださったんです。できるだけのことをしようとしてくださるお心にふれました。

岩崎: 温かいですね。

里枝子: ええ、温かいですね。その方々が、今、こんなに基地の負担で苦しんでいて、大和の人たち、私達の実情をわかって!とおっしゃっているお気持ちが、すごく伝わってきました。

岩崎: なるほどねえ…

里枝子: 野池さんも、問題だけを見てというのは、難しいかもしれないけれど、ともかく沖縄には、素晴らしい文化があって、温かな人々がおられるので、いいものをいっぱい見ていただいて、そこから沖縄に目を向けていってほしいとおっしゃっています。野池道子さんは、長野市にもお家があって、こちらでも「沖縄を感じる会」を開いていらっしゃいます。そんなところにも、ぜひ参加していただきたいとおっしゃっていました。

岩崎: そうですか。野池道子さんのプランで、普通の観光ツアーでは、なかなか行かれないようなところにいろいろ心配りをしていただいて、里枝子さん、本当にいい旅をしてきましたね。

里枝子: はい。いい旅をしました。今回は、私が18才の学生の頃から、野越え山越えつきあってくれる親友も一緒に行ってくれました。野池さんにも、親友にも、旅で出会った方々にも、本当に感謝です。

岩崎: ありがとうございました。里枝子さんが、現地の三線の音色と歌をぜひ皆さんにも聞いてほしいということで、重い録音機をかついで旅をしてくださいました。今日は、たっぷりと現地の三線の音楽を聞いていただけたのではないかと思います。里枝子さん、本当にご苦労様でした。

里枝子: ありがとうございます。皆様に聞いていただけて、うれしかったです。

(*もらとりあむ38 夏草 2015年8月5日発行)