ここから本文です。

里枝子のエッセイ

越後瞽女唄探求の旅 二の段 − 「お客人は喜んでくれなさったか」

2017年7月16日

■はじめに

 お稽古を始めた翌年の2015年から、瞽女唄を聞いていただける機会を少しずついただけるようになった。瞽女唄を唄ったときのことは、まるでその時間だけを切りとったように、鮮やかに心に残っている。忘れないし、忘れたくないという思いで集めた覚え書きも、2年半の間に、テキストファイルで150ページほどになった。
 どうしたら、このたくさんの覚書を整理してまとめられるだろうかと、考え考え、盲導犬のジャスミンと一緒に増水した川の瀬音を聞きながら近所を散策していたときに、ふっと小林ハルさんの言葉が、心に蘇った。
 「お客人は喜んでくれなさったか」
 お元気な頃のハルさんが、演奏に呼ばれて帰ってきた萱森直子先生に、毎回かけた言葉はただ一つ、この言葉だったと伺ったことがあった。「声がよく出たか」「まちがわなかったか」などと言われたことは一度もなかったそうだ。
 このハルさんの言葉を思い出したとき、私は、思わず空を仰いで「ああ、そうでした!ハルさん、ありがとうございます!」と、天国のハルさんに向かってお礼を言った。そして、ジャスミンに「ハップアップ(速く)!」と号令をかけて、急いで家に帰ってパソコンを開き、覚書を読み返すと、いろいろな打ち合わせの記録や、反省の呟きに混じって、天国のハルさんや、萱森先生、私を応援してくださっている方々に、感謝をこめてご報告したい言葉が、はっきりと読みとれた。そこで2日2晩かかって、その言葉を彫り出して一気にまとめたのが、今回の「越後瞽女唄探求の旅 二の段」である。

 師匠の萱森先生から「瞽女唄は、人に楽しんでもらうための芸なので、大いにやってください。その代り、頭が真っ白になっても歌えるくらい、必死で練習してくださいね」と言っていただき、私は、機会をいただけるときには、いつでもどこでも、喜んで唄うようになった。
 私は、まだ肝心の瞽女唄の声や演奏ができあがっていないうえ、どの唄も唄いこなせるわけでもなく、それでも、少しでも分かち合えたらと、そんな気持ちで毎回挑戦している。そんな自分の現状を振り返ると、皆様からいただいた言葉は、過分なものであって、未熟な私への励ましの意味をこめて言ってくださった言葉だとわかる。けれども、そのお一人お一人からの励ましに支えていただいて、私は、瞽女唄を携えて、新しい大切な旅を一歩一歩始めることができた。
 今、ハルさんから「お客人は喜んでくれなさったか」と聞いていただいたなら、私は、こう答えるだろう。
 「はい。おかげさまで喜んでくださった方がありました。ハルさん、信州には、瞽女さんたちの唄を今も懐かしく聞いてくださる方が、本当に大勢おられるのです。若い方の中にも、感動をもって受け止めてくださる方がいます。私は、そうした方々にハルさんたちが、生きて遺してくださった瞽女唄をお届けしたいのです。ハルさん、どうか、これからも天国から力を貸してください」。

■これまでの演奏

[2015年]

○1月31日
広沢家のホームパーティーにて、皆の新年の幸いを願って1曲
広沢宅(長野県 東御市)
「正月祝い口説き」

☆memory
 家で夫の職場のお客様を迎えてすき焼きパーティーをしたおり、三味線箪笥があることに気づいた方から、1曲聞かせてほしいなあ」と所望していただいた。そこで私は、初めて人前で三味線を取り出して、夫と、4人のお客様を前に「正月祝い口説き」を披露した。
 三味線伴奏は、緊張して、どんどん早くなってしまった。それでも唄には、新しい年が、それぞれにとって良い年になるようにと願いをこめた。
 お客様達は、「次回、ぜひまた瞽女唄を聞かせて」と言いながら帰って行かれた。

○3月7日
伊波敏男さんの快気祝いに1曲
伊波敏男さん宅(長野県 上田市)
「夢和讃」

☆memory
 作家の伊波さんの快気祝いと、皆の健康長寿を願って「夢和讃」を唄った。「夢和讃」と、「お茶和讃」は、三味線伴奏がない歌なので、三味線が手元にないときでも聞いていただける。
 伊波さん宅のリビングには、畳を敷いた小上がりがあり、そこに正座して唄った。訪問先での初めての瞽女唄披露になった。
 伊波さんは、関心をもって私の唄を聞いてくださった。そして、「ぜひライフワークとして続けてほしい。演奏のおりには、必ず瞽女唄のこと、貴女の瞽女唄への思い、簡単な歌詞の内容についても伝えながら広めていってほしい」と助言してくださった。
 伊波さんは「自分が確信をもって伝え続けたことは、必ず長い年月の間に人々の中に浸透していくものだ」とおっしゃった。私はその言葉を心に刻んだ。

○5月10日 杉本清美さん一家のおもてなしに感謝して1曲
創作料理の「なんとぅ」の前庭にて(沖縄県 糸満市)
「お茶和讃」

☆memory
 沖縄の旅の2日目。杉本清美さんが開いている創作料理のお店「なんとぅ」で、朝、旅立ちの前に庭先に立って御礼の気持ちをこめて唄った。聞き手は、杉本さんご夫妻、旅の仲間の野池道子さん、神山朝子さん。
 朝の新鮮な空気の中で歌うのは、気持ちがよかった。瞽女さんたちも、瞽女宿を発つとき、「たち唄」として、お礼の気持ちをこめてこの唄を唄ったのではないかと感じた。  薄れかけた夜香木(やこうぼく)の花の甘い香りを圧して、一斉に咲き出した百合の花の澄んだ香りが立ち昇っていた。

○5月11日
「白浜公民館」の親川館長さんに感謝して1曲
入り江のキャンプ場(沖縄県 大宜味村)
「夢和讃」

☆memory
 沖縄本島の北部、国頭郡大宜味村の海辺のキャンプ場にて、旅立ちの朝、公民館長さんへの感謝をこめて「夢和讃」を唄った。
 館長さんは、朗らかな方で、直前まで冗談を言っておられたが、私が「感謝の印に瞽女唄を唄わせてください」と言うと、私の真正面に立たれた。
 お一人に向かって真剣に唄うのは、初めての体験。この森と海に囲まれたヤンバルの村に、私は2度と来ることはないかもしれないと思うと、名残惜しい気持ちが胸にあふれて、忘れがたいひと時になった。
 私が唄い終えると、館長さんは、静かな声で「ありがとう」と言ってくださった。

○5月21日
「軽井沢敬老園」職員人権研修の中で1曲
「軽井沢敬老園デイサービスセンター」(長野県 軽井沢町)
「夢和讃」

☆memory
 夜の研修会で、聞き手は、若い介護職員を中心に80名ほど。研修会で瞽女唄を唄うのは初めてだったが、「夢和讃」には、日本人の敬老の心がこもっていると感じているので、介護に携わる方々に贈りたかった。
 この日の講演は、マイクの調子がよくなかったので、思い切ってマイクはやめて、話も、朗読も、瞽女唄も、すべて肉声で伝えた。かえってまっすぐに皆様の胸に届いたようだ。
 関係施設3箇所での講演に同行した女性職員の方は、「今回は、瞽女唄まで唄っていただいて、特別に印象深かったです。マイクを通した声と違って、肉声って、どうしてこんなに胸に迫ってくるんでしょうね!」と驚いたようすで言ってくださった。

○6月18日
「長野市立高等学校」 ノーマライゼーションクラス講義の中で1曲
「長野市立高等学校」 教室(長野県 長野市)
「お茶和讃」

☆memory
 聴講された社会人の方から「ぜひ、瞽女唄を聞かせてください」とのリクエストがあり、「お茶和讃」を唄った。聞き手は、高校生を中心に先生、地域の方など30人ほど。
 ちょうど休み時間に入ったところだったので、他のクラスの迷惑にならなくてよかったが、声は広い教室に響きわたった。皆さん、たいへん驚いていて、講演内容よりも、むしろ印象に残ったようだ。

○7月17日
「小県福祉会 フォーレスト」 職員人権研修の中で1曲
「社会福祉法人 小県福祉会 福祉の森 介護老人福祉施設フォーレスト」(長野県 東御市)
「夢和讃」

☆memory
 講演会は、夕方からで、30人ほどの職員が聞いてくださった。
 施設長さんからは「講演も、朗読も、瞽女唄もよくて、なんだかものすごく得した気分です。多くの人に聞いてもらいたいと思いました」と言っていただいた。

●7月26日
「第1回母樹の会 森が伝えてくれたこと― はなことば、そらことば、たまことば」
池田雅子さん、芹沢文子さんとジョイント
「じねんや糸川」(長野県 上田市)
「お茶和讃」

☆memory
 3人で企画し、出演した「母樹」の初公演。その中で「お茶和讃」を聞いていただいた。
会場は、「日本のロケット開発の父」と呼ばれた糸川英夫博士が、高田から移築した立派な古民家「じねんや糸川」だった。「母樹」の初公演に20人以上の方が、駆けつけてくださった。初めて鮮やかなよさこいの衣装ーを着て、黒と銀の細帯を締めた。
 私達の公演を聞くために、集まってくださった方々の前での初めての披露だった。感謝の気持ちでいっぱい。まだまだ未熟そのものだが、精進したいと思った。

○9月7日
被災経験をお話しくださったご住職に感謝して1曲
「同慶寺」 本堂(福島県 南相馬市)
「お茶和讃」

☆戸崎公恵さんの文 (『たぁくらたぁ vol.37 信州発・産直泥つきマガジン 秋号』 「広沢里枝子さんと行く 5年目の福島」から)
 徳雲さんのお話に深い感銘を受けた広沢さんは、帰り際に「瞽女唄を歌わせてください」と申し出た。
 「瞽女唄というのは、瞽女さん(盲目の女性)たちが暮らしのために唄った唄です。庶民が心の糧として喜んで聞いた唄ですから、徳雲さんのお働きに感謝をこめて唄いたいと思います。聞いていただけますか?」
 徳雲さんは「どうぞ、ご本尊様の前で唄ってください」と本堂の中央へ広沢さんを促した。広沢さんの歌声は、太く真直ぐで、声というより波動のように五感に響いた。

○10月10日
「長野県在宅看護職信濃の会」視察研修における講義の中で1曲
「名月荘」(長野県 戸倉町)
「夢和讃」

☆memory
 元保健師さんなど、40名近くの女性達が温かく包むようにして聞いてくださった。
 講義のテーマは人権なので、障害女性への複合差別の問題など、深刻な内容にならざるをえない。それでも瞽女唄には、困難の中を生きぬいてきた女性達の突きぬけた明るさで、みんなをぱあっと解放していくような不思議な魅力があると実感した。

●10月24日
「第16回 ヌチグスイお話会」
細川律子さん、野池道子さんとジョイント
「浄蓮寺」 本堂(長野県 長野市)
祭文松坂 「巡礼おつる」 一の段

☆memory
 三味線伴奏で、初めて祭文松坂を聞いていただいた。
 会場は、長野市の浄蓮寺本堂。琴三弦店の西田さんが、三味線を調整するために舞台そでに控えていてくださり、鮮やかなよさこいの衣装も着て、本格的な舞台経験となった。
 私は、緊張のため、普段は自然に動いている指の動きが、ふいに思い出せない気がしたり、三味線のほうに課題があることがわかったが、唄は、今できる、せいいっぱいだったと思う。
 お客様達は、清々しいお寺の本堂に正座して耳を傾けてくださった。着物を着て正装で参加してくださった方もあった。今は、長い唄を聞いてもらえる環境がなくなっていると言われるなかで、特別な環境、特別な聴き手に恵まれて貴重な体験をさせていただいたことを思い出しては感謝している。

●11月8日
「音和会」 長唄演奏会にゲスト出演
「東御市和コミュニティーセンター」(長野県 東御市)
「正月祝い口説き」 「佐渡おけさ(高田のもの)」

☆memory
 東御市の長唄の山口由美子先生のご好意により、長唄のおさらい会の中で、瞽女唄を聞いていただいた。
 小雨の降る日だったが、衣装を着て、三味線を持って賛助出演。曲目は、「正月祝い口説き」1曲のつもりだったが、思いがけずアンコールをいただき、高田の「佐渡おけさ」も即興で演奏した。
 練習期間がなかったので、三味線は乱れてしまったが、楽しい曲を和やかに笑って聞いていただけた。

○11月27日 「長野県立長野盲学校」の親子人権講演の中で1曲
「長野県立長野盲学校」 物療室(長野県 長野市)
「夢和讃」

☆memory
 長野市にある長野盲学校の講演の中で、「お茶和讃」を聞いていただいた。聞き手は、盲学校の先生方50人、中学部以上の生徒さん20人、保護者10人ほど。
 講演の中で「瞽女唄を知っていますか?」と尋ねると、知っていると答えた方はなかったので、詳しく説明した。そして、初めて視覚障害の仲間や、関係者に瞽女唄を聞いていただいた。これからも障害のある仲間や支援者の方々に瞽女唄を楽しんでいただける機会が増えるとよいと思った。

○12月26日
SBCラジオ「里枝子の窓」12月放送の中で1曲
「信越放送 上田放送局」(長野県 上田市)
「夢和讃」

☆memory
 SBCラジオ「里枝子の窓」の放送の中で、瞽女唄の説明と共に、今年は、初めて瞽女唄をいろいろな場で聞いていただいたことを話した。その後、「夢和讃」を熱唱した。
 放送の中で、瞽女唄を唄ったのは、初めて。ディレクターの岩崎信子さんは「里枝子さん、すばらしかったわ!いつの間にこんなに上手になったの?」と言ってくださった。

☆新潟市ご出身の古田綾夫さんからいただいたメール
瞽女歌、うれしかったです。
まあ、一挙に遠い昔に戻ってしまいましたよ。
我が故郷は、信濃川の下流で、明治になって、幅1キロくらいの新しい堤防ができました。
以前の堤防や、住居跡などは、堤防の中に丘のように残って、幅100メートル、長さ2キロメートルくらいの丘が残りました。
大正になって、その丘に、チューリップの栽培が入ってきて、一面のチューリップ畑となり、日本一の産地となり、春には、その畑が、花見の場所となったのです。
 私が高校の頃までは、まだ、クロッカス、ヒヤシンス、チューリップなどが、盛んに栽培されていて、近いので、よく行きました。
沢山の人の中に、瞽女さん一行がよく歩いていましたよ。
瞽女さんは、おしゃべりをしながら、他の花見客の間を肩を左右に揺らしながら、ゆったりゆったりと歩いて、春の花を楽しんでいました。
春がまだ早いので、瞽女さんは、マントなどを着ていることが多く、花見客のなかで、瞽女さんが来ているなと、すぐにわかりました。
しかし、私も、他の花見客も、特に瞽女さんを気にもかけずに、一緒に歩いたものでした。
見えない人が周りに居たのが、普通の社会だったのです。

[2016年]

○4月28日
「点字学習会」の送別会の中で1曲
「上田市ふれあい福祉センター」 小会議室(長野県 上田市)
「お茶和讃」

☆友へのメール
私が担当している点字学習会を卒業する方があって、小さなお別れ会をして、その中で、旅立ちを祝して「お茶和讃」を唄いました。
私の声は、建物中に響き渡っていたらしく、「もしかして広沢さん?」などと言いながら、歌っている間にドアのところに人が集まってきて、びっくりでした〜
突然、割れ鐘みたいな声を聞かされたほうがびっくりだったでしょうね〜(笑い) でも、旅だって行く方は、泣いてくださいました。

●5月8日
「第2回 母樹の会 森が伝えてくれたこと―はなことば、そらことば、たまことば」
池田雅子さん、芹沢文子さんとジョイント
コテージ 「スピカ」(長野県 追分)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段

☆神山朝子さんからいただいたメール
荒海にもまれるような状況のなかでの母樹でしたね。
そんなに無理をしなくても、嵐が去ってからでもいいのでは、と、思いつつ向かいましたが、終わってみれば、濃密で親密ないい時間でした。今日行くことができて本当によかったと思います。
なぐさめられたのは私でした。ありがとう、こころからお礼を言います。

○5月16日 「弟子屈町UDプラザ」の皆さんとの交流会の中で1曲
ホテル 「風曜日」(北海道 弟子屈町)
「夢和讃」

☆「ジャスミンの北海道旅行記」(廣澤ジャスミン作/広沢里枝子代筆/「ハーネスながの」掲載)から
 この日の夜は、「風曜日」のロビーにUDプラザの皆さんや、弟子屈町役場の観光課の人たちなど、10人ほどが集まって交流会を開いてくれました。
UDプラザの皆さんは、年齢も職業もさまざまです。それぞれの得意なことを生かしながら協力しあって、弟子屈町を訪れる障害者の旅のサポートを一生懸命しています。
(中略)
里枝子さんは、感謝の気持ちをこめて「夢和讃」という瞽女唄を全力で唄いました。
唄い終わると大きな拍手をいただいて、最後は、みんなでフラダンスを踊りました。みんな、とびきりの笑顔でした。

○6月1日
「東御清翔高等学校 人権平和学習講演会」の中で1曲
「長野県東御清翔高等学校」(長野県 東御市)
「夢和讃」

☆高校生からいただいた感想文
 お話を聞いて、1番印象に残っているのが歌です。たとえどんなハンデを負っていても自分の生きがいを見つけて、自分らしく生きていくのはとてもきれいなことだなと思いました。
まだ、盲導犬や他のハンデをおった人への理解ができていない人達が多くいると思うので、早く全世界の人達に伝わればいいなと思います。

○6月4日
「信濃町 人権フォーラム」の中で1曲
「信濃町公民館」(長野県 信濃町)
「夢和讃」

●6月19日
「第25回 東御市邦楽部会発表会」
「東御市文化会館 サンテラスホール」(長野県 東御市)
「正月祝い口説き」 出雲節「梅の口説き」 「佐渡おけさ(高田のもの)」

☆吉澤佳子さんからいただいたメール
今日 邦楽発表会に行きました
第一声から 胸を ギュっと つかまれた感じで、ただただ 聞き入ってしまいました
感激して 涙が にじんできました
里枝子さん すばらしい出会いがあって本当に 良かったですね
また 機会があったら 聞かせて頂きたいです

●7月2日
「第28回 信州国際音楽村 邦楽友の会」
「信州国際音楽村」 こだまホール(長野県 上田市)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段

☆金子恵子さんからいただいた感想
瞽女唄の迫力、ドーンと伝わってきましたよ。
私、真正面から聴きたくて、ステージと平行になるように、前から3列目の真ん中で聴かせていただきました。
なので、少し距離はあるものの、まっすぐに里枝子さんの声、受けとめさせていただきました。
里枝子さんが「越後瞽女唄探求の旅」で書かれたこと、私もほんの少しかもしれませんが体験できました。
装飾などなくそのままストレートの唄が、こんなに心に届くんですね。
それに、里枝子さん唄うますぎです
これこそ精進の賜物ですね。
本当にとてもよかったです。

☆友人からいただいたメール
りえちゃんも、邦楽の人たちの雰囲気もあって、ご自分の調子をつかむのに工夫がいったでしょうね。
でも演奏に入って、いざ、うたいはじめたら、りえちゃんの体内にまたもや瞽女魂がはいったらしく、聴衆を圧倒していましたよ。
夫も「根性あるなあ。」と、うめいていました。
ジャスミンもステージの上で、「ここ、チェア」と教えていたんだって?
それを聞いたら、ジャスミンが一緒にステージを務めてくれるのもりえちゃんにとってはいいんじゃないかと安心しました。
また是非、これからも演奏の機会があるときには、声をかけてくださいね。

○7月14日
「東御市 滋野小学校」 4年生 親子講演会の中で1曲
「東御市滋野小学校」(長野県 東御市)
「しげさ節」

○8月26日
横浜からの来客に感謝して1曲
「ペンション サユール」(長野県 東御市)
「夢和讃」

○8月28日
朗読「りらの会」 交流会の中で1曲
「東御市総合福祉センター」(長野県 東御市)
「佐渡おけさ」(長岡のものをりらの会のかえ唄にして)

☆「りらの会の唄」(佐渡おけさにのせて)
はあ
りらの会員
天使の声だよ
あーりゃ あーりゃ あーりゃさっと
便り聞いたり
そーりゃ
聞かせたり

はあ
りらの会員
優しい人だよ
あーりゃ あーりゃ あーりゃさっと
東御よいなあ
そーりゃ
住みよいなあ

○9月15日
「丸子修学館高等学校」 2学年人権平和講演会の中で1曲
「長野県丸子修学館高等学校」(長野県 上田市)
「夢和讃」

☆高校生からいただいた感想文
 講演会の内容はとても濃くて、私自身も頑張る勇気をもらった気がします。
 盲目の方のお話しを聞いたのは、これで2回目です。お二人とも明るくて、楽しそうにお話しされていました。目が見えないという怖さも感じていないように私には見えました。目をつむってみると真っ暗でまわりの音しか聞こえない、書けないし読めない、一人で動くことも危険で、怖くて動けません。そんな世界で生活していると考えると、すごいなと思います。そして何か手助けできることはないかと考えました。自分たちにできる事は、「バリアをなくすこと」と聞き、もっと沢山の人に盲目の方のことを知ってもらうことが必要なんじゃないかと思いました。

●9月28日
「ケアポートみまき」 敬老会 「越後の昔話と越後瞽女唄を楽しむつどい」 土屋宏美さんとジョイント
東御市 「芸能人材グループ和笑(わっしょい)」 ボランティア活動
「社会福祉法人 ケアポートみまき」(長野県 東御市)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段 「夢和讃」

☆memory
 今回は、高齢の方々に楽しんでいただけるように、子どものための語り手として、長年活動されている土屋宏美さんと二人で、半分ずつ時間を分け合って演じた。
 高齢のお客様の中には、重い障害のある方がおられるので、集中できない場合もあると伺っていたが、瞽女唄演奏は、たいへん静かに聞いていただいた。土屋さんの越後の昔話では、お客様から自然に笑いもこぼれて、センター長の西沢さんからは「二人のコンビネーションがとてもよかった!」と言っていただいた。
 また、今回、土屋さんに着付けを手伝っていただいて、初めて着物を着た。吉澤佳子さんのお友達の井出浜子さんからいただいた紺地の着物と黄色系の半幅帯。まだ着慣れなくてちょっと緊張したが、半幅帯は、おしゃれな変わり結びにしていただき、華やかな気分になった。
 「芸能人材グループ和笑」に登録して初めてのボランティア活動だった。ケアポートの皆様や、土屋さん、吉澤さん、井出さん等、皆様のご協力のおかげで無事に役目を果たせてありがたかった。

○9月30日
「上野が丘地区 人権を考える市民の集い」の中で1曲
「上田市上野が丘公民館」(長野県 上田市)
「夢和讃」

☆役員の方からいただいた感想
 私は、高田の出身ですので、子どもの頃には、瞽女さんたちの唄を聞いておりました。雪の中、瞽女さんたちが角巻を着て、三味線を持って来られたようすは、子どもながらにも覚えているんですよ。久々に瞽女唄を聞いて本当に懐かしかったです。

●10月3日
「内田康子個展とのコラボレーション♪」 「瞽女唄と紙芝居」
内田康子さん、木川友江さんとジョイント
「碓井川熱帯植物園」 展示ホール(群馬県 安中市)
「庄内節」 祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 二の段

☆神山朝子さんのフェイスブックから
内田康子個展とのコラボレーション「瞽女唄と紙芝居」が本日、盛会のうちに催されました!!
お忙しいなかお集まりくださいましたみなさま、なみだをためて感想を話してくださった方、「仕事のやりくりがつかず、とてもとても残念」 そう話してくださった方、裏方としてそっと支えてくれたみなさん、本当にありがとうございました
康子さんへのお祝いと応援として企画したコラボでしたが、元気をいただいたのは私たちだったなあと感謝の気持ちでいっぱいです

○10月23日
「社会福祉法人 長野県視覚障害者福祉協会」 音楽会の中で1曲
「長野県視覚障害者福祉センター」(長野県 松本市)
「夢和讃」

●11月26日
「第13回東御市障がい者福祉のつどい」
東御市 「芸能人材グループ和笑(わっしょい)」 ボランティア活動
「東御市中央公民館」 講堂(長野県 東御市)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段 「佐渡おけさ(高田のもの)」

☆社協職員からいただいた感想
 やあ、すばらしかったです!広沢さんて、どこまでパワフルなんですか?
 自分も子供の頃に好きだったことをもう1度と思いますが、実際にはなかなかできません。すごくエネルギーのいることだと思います。
 いつも前向きに、地域の人たちからときには力を借りるけど、できることはなんでもしますよ、という姿勢でいてくださる、その生き方に私達もどれだけ励まされているかしれません。おかげさまで良い会になりました。

☆社協職員の高岡久章さんからいただいたメール
 当日は、一般の参加者も、三十名以上ご参加をいただき、総勢で二百名を超えるなど、大変盛況な大会となりました。広沢さんには、大変お忙しいところ、ご協力を賜り、こちらこそ感謝を申し上げます。ご参加をいただいた多くの皆さんから、大変すばらしい演奏だった、心を打たれたなどの感想をいただきました。
 私は、舞台のそでから、広沢さんのパフォーマンスに、ただただ圧倒され、あっという間の時間でした。瞽女唄が地域になじみ、人にやさしく、そしてせつなく、まさに、うたいの世界をのぞいた気持ちでした。
 私には、瞽女唄の本当の魅力はわかりませんが、三味線の音律にリズムをきざみ、うたいをすすめるその姿に、何とも言えない魅力を感じました。
 本当に素晴らしい演奏をいただき、感謝申し上げる次第です。

○12月21日
「シニア大学 上小学部」講義の中で1曲
「上田地方事務所」
「夢和讃」

○12月23日
伊波敏男さん宅でのホームパーティーにて、ご夫婦の円満を祝して1曲
伊波敏男さん宅(長野県 上田市)
「佐渡おけさ」(長岡のものを一部替え歌にして)

○12月31日
SBCラジオ「里枝子の窓」 12月放送の中で1曲
「信越放送 上田放送局」(長野県 上田市)
「庄内節」 「佐渡おけさ(高田のもの)」

[2017年]

○1月20日
作家の下重暁子さん、信濃毎日新聞編集者の畑谷史代さんに私の瞽女唄を聞いていただいた。
広沢宅(長野県 東御市)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段、「佐渡おけさ(高田のもの)」

☆ラジオ番組「里枝子の窓」 2月放送から
 今月の5日の「信濃毎日新聞」の下重暁子さんの連載記事「風のゆくえ 瞽女に惹かれて」に私のことを書いていただきました。それで、リスナーの方からも「里枝子さんの記事、読みましたよ。すばらしい文章だったね!」などと、声をかけていただいています。気をつけて読んでくださった方々があったのですね。ありがとうございます。
 そうなんです。あの下重暁子さんが、東御市の山の麓にある私の家に取材においでくださったのです。「信濃毎日新聞」の女性記者の畑谷史代さんと一緒でした。
 家にお二人でおいでくださるからには、私の瞽女唄の演奏も聞いていただかないといけないと思いまして、お迎えするまで緊張しました。私は、まだ瞽女唄を習い始めて3年足らずです。小林ハルさんの本物の瞽女唄を聞いて「鋼の女―最後の瞽女・小林ハル」という立派な本を書き上げた下重さんに聞いていただけるような演奏ができるだろうかと心配でした。
 ただ、下重暁子さんは、私にとっては、瞽女唄や、小林ハルさんを知る最初のきっかけを作ってくださった特別な方です。下重さんの書かれた「鋼の女」を読んで、私は、ハルさんや、瞽女唄のことを正しく知りました。
 しかも、この本を音訳図書で読んで間もない2001年の8月に、この「里枝子の窓」の番組が、「平成13年日本民間放送連盟賞・ラジオ放送活動部門・関東甲信越静岡地区」で、第1位に選出されて、そのときの審査員が、下重さんでした。そのときに下重さんは、「小林ハルさんは、101才よ。お会いするなら今よ」と、取材に行くように強く勧めてくださいました。そのおかげで、私と岩崎ディレクターは、新潟の黒川村へ小林ハルさんをお訪ねすることができて、目の前であの瞽女唄を聞いて、そのときの感動がもとになって、私は瞽女唄に魅かれて、新潟までお稽古に通うことになりました。
 その下重さんと、16年もたってから再会して、今度は私の瞽女唄を聞いていただけることになったとは、下重さんも書いておられたように、本当に奇縁としか言いようのない、不思議なご縁を感じました。
 それで私、とにかく全力を振り絞って「葛の葉 子別れ」という瞽女唄を唄って聞いていただきました。そうしましたら、下重さん、本当に受け止めてくださったのです。
 「貴女の演奏は響いてきたわ。貴女、瞽女唄、向いているわ。唄も三味線も、とてもいい。目標を決めなさい。来年は軽井沢でコンサートを開きましょう。そして、その次の年は東京よ。私、応援するわ」と言ってくださいました。そして「それには私も元気で生きていなくちゃね」と言いながら、タクシーに乗って帰って行かれました。
 同行された記者の畑谷さんも、言葉を尽くして激励してくださったものですから、私は驚いてしまって、お二人が帰ったあと、しばらく呆然としてしまったほどでした。
 まだ不思議でしょうがないんですけどね。もしかすると私が瞽女唄を習う使命を与えられたのと同じように、下重さんも、瞽女唄の魅力を広く伝えるという大きな使命をもって生まれてきた方じゃないかしらって、そんな気がしてなりません。

○1月28日
「上田市視覚障害者福祉協会 新春交流会」の中で1曲
「上田市ふれあい福祉センター」 大会議室(長野県 上田市)
「お茶和讃」

☆memory
 役員の方から頼まれて、新春交流会の食事会の中で、アトラクションとして1曲唄った。司会をした後だったので、自分ばかり出過ぎてしまったようで、ちょっと恥ずかしかった。
 けれども、私に続いて2人の会員が唄ってくださった。お一人は一番好きだという「黒田節」。もうお一人は、詩吟を吟じてくださった。
 新春交流会では、このところ会員による歌の披露はなかったので、私の唄も一つのきっかけになったとしたら、よかったと思った。
 終わった後も、何人もの方が、声をかけてくださった。

●2月18日
「母樹の会inあうんの家 生命をつなぐ」
池田雅子さん、芹沢文子さんとジョイント
「あうんの家」(長野県 追分)
祭文松坂 「葛の葉 子別れ」 一の段、「夢和讃」

●4月28日
「東御市禰津西宮区 生き生きサロン」
東御市 「芸能人材グループ和笑(わっしょい)」 ボランティア活動
「西宮公民館」(長野県 東御市)
祭文松坂 「巡礼おつる」 一の段、「夢和讃」

☆memory
 私の暮らす西宮区の「生き生きサロン」で、初めて演奏させていただいた。その日の夕方、私がジャスミンと散歩に出ると、坂を下ったところで、2人の男性が、同時に声をかけてくださった。お一人は、地区の役員の方。私が萱森先生のコンサートに初めて行こうとしたときに、家の前の長い坂道の雪かきをしてくださった方だ。
 「貴女の演奏は素晴らしかった!感動しました。
皆さん喜んでいましたよ。実際にお呼びできるとなると、また何年か先になってしまうのだろうけど、本当を言えば、貴女の演奏は、毎年聞きたいぐらいです」と言ってくださった。本当に感動したようすで言ってくださったので、うれしかった。
 その時は、あわててしまって、何度もお礼を言うぐらいしかできなかったが、あの大雪の時、雪かきをして道を作っていただいたおかげで、私は、萱森先生のコンサートに行かれ、そのおかげで今につながったことを話して、改めて御礼を申し上げればよかったと思った。
 声をかけてくださったもう一人は、ご近所の友人の弟さん。農業機械が置いてあって危ないので、案内をしようと声をかけてくださったとのこと。機械の傍を案内していただき、お二人に感謝しながら帰途に着いた。

○5月12日
「着物応援団」の吉澤佳子さん、井出浜子さん、今井節子さん、桜井緑さんのご協力に感謝して1曲
広沢宅(長野県 東御市)
「お茶和讃」

●5月20日
「春の遠足!小諸Bioマルシェ&カミツレ収穫ツアー」
「小諸エコビレッジ」(長野県 小諸市)
池田雅子さんとジョイント感謝して1曲
祭文松坂「葛の葉 子別れ」 三の段 

☆memory
参加者は、10名ほどだったが、闇の中、床に座り、蝋燭を灯して肩寄せ合って聞くというのは、独特の雰囲気があった。雅子さんのお話が始まると、皆さん、熱心に耳を傾けてくださった。瞽女唄演奏も、息を飲んで聞いてくださっているようすが伝わってきた。
 終わった後も、皆さん残って、自然環境や、越後瞽女唄について話し合った。昔の日本には、見えない人々が自立して働き、それを支える村社会があったことにも関心をもっていただいた。

○5月25日
「長野市立高等学校」 ノーマライゼーションクラスの講義の中で1曲
「長野市立高等学校」 教室(長野県 長野市)
「夢和讃」

○6月7日
「長野県小諸高等学校職員研修」の中で1曲
「長野県小諸高等学校」(長野県 小諸市)
「夢和讃」

●6月21日
「加沢区 福祉のつどい」
東御市 「芸能人材グループ和笑(わっしょい)」 ボランティア活動
「加沢公民館」(長野県 東御市)
「庄内節」 祭文松坂 「巡礼おつる」 一の段

☆実行委員の方からいただいたメール
昨日は雨催いの中を加沢公民館での集いにお出で頂き有難うございました。
広沢さんの瞽女唄に魂を濯がれた心地がしました。
あのような素晴らしい時空間を参加者全員で共有出来ましたこと、心から御礼申し上げます。
(中略)
参加者のK.さんは家に帰ってから、高齢のお母さんに「広沢里枝子さんの瞽女唄を聴いてきたよ」と伝えたところ、その90歳を越えられた高齢のお母様は上田市塩田から加沢に嫁いでみえた方とのことで、「幼いころ、塩田にも瞽女さんたちが来たよ。みんな絣の着物を着て、前の瞽女さんの肩に手を掛けて歩いておられたよ。」と80年も前の思い出を語ってくれたそうです。

☆吉原常義さんからいただいたメール
最後の瞽女ハルさんの、子どもの頃からの凄まじい生き方に惹かれて本を一気に読み終えてしまいました。
広沢里枝子さんの「越後瞽女唄探求の旅」の中にあった「鋼の女」「絵日記 瞽女を訪ねて」を読みたくなり、直ぐに図書館で借りてきました。
何も知らなかった私が、本から得た印象、興味で、あの頃村々を廻ってくる瞽女さん達を楽しみにしていた人達と同じ気持ちで、その日を心待ちにしていました。
期待に違わず、心に響く力一杯の張りのある歌声と、今まで馴染んでいた音とは違う力強い三味線、撥さばき。

瞽女唄に魅了されてしまいました。
目を閉じて聞き入ると、雪深い越後の景色が浮かび、「巡礼おつる」の二の段も続けて聴いていたい雰囲気になりました。
ハルさんは、7歳から三味線と唄を習い、広沢さんも10歳の頃から長唄、三味線の稽古を始めたとのこと。

あの笑顔の中に感性の鋭さ、豊かさと、ハルさんと同じ、芸に対する真剣さ、芯の強さを感じました。
 私の70年の人生の中でも、指折り数えられる心に残る一日となりました。

●6月25日
東御市曽根区「生き生きサロン」
東御市 「芸能人材グループ和笑(わっしょい)」 ボランティア活動
「曽根公民館」長野県 東御市)
祭文松坂 「巡礼おつる」 一の段 「夢和讃」 「佐渡おけさ(高田のもの)」

☆演奏の後、お客様が駆け寄ってきて伝えてくださったこと
(中略)
 私は75才なんですが、このくらいの年齢だと、瞽女唄は本当に懐かしいんですよ。
 私は、佐久の出身で、子供の頃に瞽女唄はよく聞きました。楽しみの少ない頃でしたからねえ、瞽女さんが来るとうれしくて、ついて歩きましたね。
 先ほどの歌の中に「かかさまおゆみと申します 我が名は、おつると申します」って文句がありましたでしょう。あれを聞いて想い出したんですけど、私は子供の頃に「かかさま、おゆみと申します 我が名は、おつると申します」って、瞽女さんの真似をして唄ってました。あの曲だったんですね。
 やあ、聞かせていただいて懐かしかったです。本当にありがとうございました。
また聞かせてくださいね。

○6月26日
「第70回 長野県視覚障害者福祉大会」の講演の中で2曲
「ホテル翔峰」(長野県 松本市)
「佐渡おけさ(高田のもの)」 「正月祝い口説き」

☆家族へのメール
智恵ちゃん、ご出産おめでとうございます。
母子ともに元気と全紀から聞いて、本当にほっとしました。
私達も、たいへん喜んでいます。
(中略)
ところで、昨日、私は、「第70回 長野県視覚障害者福祉大会」に講演に行って、最後に「佐渡おけさ」を演奏しました。
そうしましたら、「もう1曲!」と、あちこちから声をかけていただきましたので、もう1曲は、即興で「正月祝い口説き」を唄いました。
これは、お正月のときでなくても、お祝いのときに唄う唄です。
苗の筋に向かって唄うと、苗がぐんぐん育ち、おかいこさんに聞かせると糸をたくさん吐くと昔からいわれた不思議な唄です。
私は、その時点では、こんな素晴らしい日になるとは露知らず、「四つ世継ぎの宝をもおけ 五つ、眷族増したる上に 六つ睦まじく家内は繁盛・・・」と高らかに唄って、「みんなに幸せがきますように!」と結びました。
その幸せは、なんと我が家に舞い降りてくれました。
「正月祝い口説き」を唄う度に、きっと咲智ちゃんの誕生の日を想い出すことと思います。
本当にうれしい日になりました。

○6月28日
心のこもった整体とご馳走と友情に感謝して
神山朝子さん宅(埼玉県 鴻巣市)
「夢和讃」

■これまでに習った曲目

祭文松坂「石堂丸」 全3段
「祭文松坂「葛の葉 子別れ」 全4段
「祭文松坂「巡礼おつる」 全4段
祭文松坂「山椒大夫」 一の段
「瞽女松坂」
「庄内節」
「伊勢音頭くずし」
「しげさ節」
「正月祝い口説き」
「佐渡おけさ」 長岡のもの
「佐渡おけさ」 高田のもの
出雲節(梅のくどき)
出雲節 「こんにゃく・とうふの口説き」
出雲節(西郷どん)
出雲節 「みかんの口説き」
夢和讃
お茶和讃
かごめおばこ
信州追分
「おいとこ」
「金のなる木」