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第1回 ≪里枝子の窓≫から視る世界 2003・7
「こんにちは!広沢里枝子です。」
マイクに向かって、そう呼びかけると、目の前にぱあっと窓が開いて、この時間を待っていてくださるリスナーの方たちの笑顔が見えてくる気がします。
私が担当するラジオ番組「里枝子の窓」では、目の見えない私と盲導犬との日常の体験をありのままに伝えながら、子育て、福祉、共に生きる街づくりを問いかけてきました。番組を聞いて、心のこもったお手紙をくださる方々もあり、ラジオは、見た目にとらわれずに心をまっすぐに伝えあうことができる貴重な媒体だと感じています。
また、番組では生き生きと地域で暮らす障害のある人々や、共に働く人々、独自の問題意識をもって活動に取り組む人々などから、毎回、人生にふれるお話を伺っています。特に「里枝子の窓」には、今日まで13年間に様々な障害をもつ方々がゲストとして出演してくださいました。同じ立場にある私とのトークの中で、心を開き、のびやかに語っていただいた言葉が、リスナーの方々へと届いて、支援の輪が大きくひろがった嬉しいケースもありました。
そこで今回の連載では、私がラジオ番組を通して出会った障害をもつ方々から、職業と自立についての体験を詳しく伺い、お伝えしたいと思います。初回の今回は、私自身の体験を書かせていただくことにしました。
自立への一歩
私は進行性の網膜の病気のために、子供の頃から少しずつ視力が落ち、出産後25才の頃に明暗がわかるのみとなりました。私は結婚前まで名古屋の点字図書館で働いていましたが、長男が生まれてからは、見えない中での子育てと家事で、心身ともに精一杯の生活が始まりました。
自立とは、自分で選択し、決定し、責任をもつことだと言います。その意味では、信州に来て夫と暮らしたいと願い、子供を産み育てたいと願い、授かった小さな命を守ろうと、無我夢中で過ごした日々は、文字通りの「暗中模索」ながら、まさに自立への一歩一歩だったと思います。
ただ、初めのうち私は、一人で歩くこともできず、姑に手引きしてもらって、近所の店まで食料品の買い物に行くのが、唯一の外出という生活でした。その生活を大きく変えてくれたのが盲導犬です。
1985年、長男が生後11ヶ月の頃に、私は初代盲導犬のキュリーと歩き出しました。キュリーは美しい黒毛のラブラドール犬でした。私は左手で彼女のハーネスを握り、長男を背負い、右肩には哺乳瓶やらおむつやら詰め込んだ赤いショルダーバッグをかついで、自分の足で歩きだしたのです。
最初はすぐそばの公園まで。それから買い物に。幼稚園の送り迎えや、朗読ボランティア活動への参加など、盲導犬と共に、私たち親子の生活は少しずつ広がって行きました。当時はまだ行く先々で入場拒否にあいましたが、キュリーの仕事ぶりを見て理解していただける場合もありましたから、盲導犬のいる風景があたりまえになるまで街へ出ようと決意していました。
ラジオの世界へ
私がSBCラジオのアナウンサーだった岩崎信子さんに出会えたのは、その頃でした。岩崎さんは「里枝子の窓」を企画し、その後も番組の制作者として、私を育て、支え続けてくださっている方です。障害のある私たちが自分を十分に生かして働くためには多くの人の協力が必要ですが、双方を親身になってつないでくださる、たった一人の存在が、とても重要です。私にとって、それは岩崎さんでした。
岩崎さんは最初、盲導犬の取材のために私の家に来て、私がつくっていた子供たちとの会話集「あきとまさきのお話のアルバム」を読んでくださいました。その後、準備期間を経て、1991年から「里枝子の窓」はSBC上田放送局制作の番組としてスタートしました。
一主婦にとって、ラジオの仕事は一回ごとが冒険でした。初めてのトーク。初めての朗読。取材旅や公開録音など、毎回どきどきしながら全力で挑戦してきました。私にとってラジオは、障害を越えて素晴らしい人や体験に出会える、最高に幸せな仕事です。
ラジオをきっかけとして、講演に呼んでいただいたり、母校の長野大学で講義を担当したりと、新たな仕事のチャンスにも恵まれています。今回も連載の依頼をいただき、思わず「やってみます」と答えました。障害者と健常者が隔たりなく交じりあって生きる社会をめざして、私にできることを見つけながら、ひとつひとつやって行きたいと思います。
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