|
第4回 果樹園を経営する上原弘三さん 2005・2
今回は「上原果樹園」を夫婦で経営する、全盲の上原弘三さんを紹介します。上原さんは農業一筋45年。1ヘクタールの段々畑を自由自在に歩き回り、木に登り、あらゆる農作業をこなしています。作っている果樹は梅、杏、プラム、桃、洋梨、巨峰、各種のリンゴなど、できるもの全て。五箇所の直売所を農業者の仲間で運営し、地域の農業振興のために活躍しています。
上原さんは昭和16年生まれ。丸子町在住。現在は奥様と長男の三人暮らし。昨年春には次女が結婚し、父親としてバージンロードを歩いてきたそうです。
果樹園に隣接する上原さん宅を訪ねて、奥様手作りの美味しい漬け物をいただきながら、お話を伺いました。あたらせてもらった掘り炬燵は剪定したリンゴの枝を炭にしたものを燃料に使っていて、柔らかな暖かさでした。炭の香漂う中、語り合う私達の傍では、上原さんの盲導犬ジギーと、私の盲導犬ドロシーが、ゆったりと寝そべっていました。
- 里枝子
- 「私、上原さんに最初にインタビューしたときのこと、忘れられないんです。『こんなにバリバリ働いている上原さんだけど、失明した当初は、やはり辛かったでしょうね』ってお聞きしたら、上原さんが『べつに』って答えたんです。『夜も働けるようになったから、三倍働ける』って。そんなふうに失明を語る方に逢ったのは初めてだったから、すごくびっくりしました」
- 上原
- 「10年前に、一本の注射がもとで、どんどん視力が落ちて、白夜の世界になってね。でも、娘がちょうどアメリカに留学していたときで、目が悪いの、滑ったのなんて言ってる時じゃなかったんですよ。それどころじゃなかった。かえって良かったんじゃないですかね」
- 里枝子
- 「目を使わずに、どうやったら、あのあちこちへ枝が突き出た果樹を相手に農業ができるんだろうって、不思議に想う人は多いと想うんです。上原さんは、どんなふうにしてできるようになったのですか?」
- 上原
- 「私は小学校の時から0.2という弱視だったから、ある程度何でも勘が働いて、やってたわけだね。ただ剪定となると、全体の間隔が掴めないってことは、全部の枝に触らなくちゃならないから、ちょっと大変だったが。一番の枝の先端から追い上げて、木の形を頭の中に記憶しながらやってくと、わかります。ここ10年ばかりやって、自分でまあまあ納得のいく剪定ができるようになりました」
- 里枝子
- 「花摘みなども手の感覚でやるんですか?」
- 上原
- 「全部そうですよ。蕾で摘んで、花で摘んで、実で摘んで」
- 里枝子
- 「根気がいるでしょうね」
- 上原
- 「ほんとに根気だけだね。こういう仕事は、毎日同じ仕事の繰り返しだから。剪定だってそうだ。一日やったって、せいぜい数本しかできないからね。それを何本もあるのを毎日剪定する。日記書くのと同じようなもんで、繰り返しですよ」
- 里枝子
- 「上原さんが、あの美味しい果物を提供するために、心がけているのはどんなことですか?」
- 上原
- 「美味しいリンゴを作るには、全ての仕事を早くやるってことが一番だよね。花摘みでも、実摘みでも、ちょうど早くにやれば、色もつくし、味もつくし、来年の花芽もよくなるし。根気有るのみ。あと、収穫の時期は大事ですよ。直売所ができたことによって、普通、市場に出すなら、1週間くらい早く収穫しなくちゃいけないものを、その日に朝とって出せる。本当に完熟したものをとって、すぐに店に並べられるってことは、私達にとって嬉しいことですね。一番美味しいところを食べていただける。それも安く。これはいいことだね。地元でできたものを食べるってことは安心して食べられるからね」
- 里枝子
- 「直売所は沢山の仲間と一緒にやっていらっしゃるんですか?」
- 上原
- 「今、丸子町全体で、『朝露』という新しい直売所を始めたおかげで、やってる仲間は150人ぐらいです。『くるみ亭』という食堂までできて、60、70代のおばあさんたちが手打ちうどんだ、手打ち蕎麦だ、おいなりさんだって、みんな張り切って生き返ってますよ。あれはいいですよ。定年をした人や、奥さんたちの仕事としてもね。アップルパイなんか毎日作って持ってくる人もいます。私達もリンゴジュースや何か出してるんですが、ジャムだとか、お弁当だとか、やればいいと思うんです。いくらでもアイデアはあるし、仲間をつくってやれば、これはおもしろい。『枝豆の会』って、お焼きの会があるんですけれど、もう学校給食にまで、お焼きを出していて、今年の春はイタリア旅行だそうです。60代の女の人たちですよ。そのくらい元気いいんだから、おちおちしてられないね。(笑い)」
- 里枝子
- 「じゃあ、障害者も、そういうところへ参加できるといいかもしれませんね」
- 上原
- 「そうさあ。自分の考え方ひとつだよ。一つ特技があればいい。たとえばジャムひとつ作れて、保健所の許可がとれれば売れるんだから」
- 里枝子
- 「頭使って、手足使ってってことですね。他に障害者が生き生き働けるための提案はありますか?」
- 上原
- 「考えるに、目の悪い者と、車いすの人たちとか、難聴の人たちとか、組めばいいんだよ。そうすりゃ、自分のできないところは、二人で一人前でやればいいんだから。これは受け入れ側と相談して、できると思いますよ」
- 里枝子
- 「なるほど、色んな方法が考えられますね。それなのに、様々な障害の中でも、特に視覚障害者の可能性って、実際より極端に狭く考えられていると思いませんか。上原さんは、他の視覚障害者も、農業関係の仕事に就けると思いますか?」
- 上原
- 「やり方によって、できることはいくらでもあると思うよ。草取りでも何でも、目が見えなくたって誰だってわかります。まさか、人参と草がわからない馬鹿はいないだろうに。果樹も果物を選んでいけばいいんじゃないかな。梨とかは目が見えてたって手探りでやることが多いんだからね。いいベターハーフがいてー 奥さんのことだよ。それに仲間がいてやれば、働く場所にいいと思うねえ。俺なんか、それこそ一年中、畑へ行って働いてるもの。働く場所があるということは一番幸せだよ。生涯現役で働ける」
- 里枝子
- 「大事なのは、働くことを体験として身につけていることと、いい人間関係をつくれることなんですね」
- 上原
- 「だけど、この少子化時代に50万人以上の学校にも行かない、仕事にも就かない若い衆がいるなんて、冗談じゃないね。中学の時代から、会社の体験なり、農業の体験なりをさせなくちゃ、絶対駄目だね」
- 里枝子
- 「上原さんは、中学生の頃から働いていましたか?」
- 上原
- 「だれー、もう小学校から。台風でリンゴが落ちれば、このひと山上の北御牧へ、リヤカーでリンゴ持ってって、みんな売ったもんですよ。リンゴと交換で、重たい米を背負って帰ってくるんだ。リュックサックの重みで、後ろにそっくり返りそうな格好して。兄弟3人で何回も。ああいうことは、いい体験だね。うちの女房も、蚕の桑取りに行かされたり、薪を運ばされたり、同じようなことをやってきたそうだが、毎日の繰り返しは貴重だよね」
- 里枝子
- 「今、奥様の話がでたんですけれど、私、お会いする度に、息があっていて、なんて素晴らしいご夫妻だろうって思うんですよ。最後に奥様のことも書きたいんですが、一言いかがでしょう?」
- 上原
- 「女房は、私を障害者としてなんか、ひとっつも見てないからね。まあ、たいしたもんだ。うんと褒めてやってください。女房あっての私ですから。(笑い)」
「上原果樹園」では、直売所に7月頃から、シリーズで果物を出すために、色々な種類の果物を作っているそうです。電話で通信販売を頼むと、季節の果物を、カラフルに取り混ぜて送ってもらうこともできます。「上原果樹園」の果物の売りは、味と低農薬とのこと。「地元の皆さんに、新鮮な果物の一番美味しいところを食べていただきたいと思いますよ」と語る上原さんの声からは、自信と若々しい意欲が伝わってきました。
上原果樹園 0268-42-2487
インタビュー「私と仕事」目次へ戻る
トップページへ
|