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第6回 フライス工として42年 勝見定弘さん 2006・4
上田市聴覚障害者協会から、長年に渡って、前向きに仕事に取り組んでいる聴覚障害の方として、勝見定弘さんを推薦していただきました。
勝見定弘さんは現在61才。昭和19年に長和町(元長門町)に生まれました。2才の頃に高熱のために両耳の聴力を失い、昭和27年に長野聾学校に入学。高等部卒業後、長和町の「(株)清野工機製作所」に最初は見習いとして就職し、10年間、フライス盤の加工技術などの指導を受け、機械工として、一人前の職を営むようになりました。
昭和47年に聾学校の後輩だった奥様と結婚。上田に住むことになり、遠距離通勤となったこともあって退社を決意。昭和49年に上田市にある現在の会社「(株)川久保製作所」に正式採用されました。その後、フライス工として勤続32年。昨年は定年退職の年でしたが、今も「川久保製作所」で働き続けています。
- 里枝子
- 「勝見さんは、小学部から高等部まで、長野聾学校で教育を受けたそうですね。ずっと寄宿舎に入っておられたのですか?」
- 勝見
- 「小学部2年までは寄宿舎生活でしたが、その後は高等部卒業まで通いました。とても朝早く起き、6時には出発し、勉強が終わって家に帰ってくるのは、夜の8時頃でした。長門町の家から長野市の学校まで、片道2時間かかりましたから、特に暑い時期や寒い時期は通学がたいへんでした。」
- 里枝子
- 「小さな頃から頑張ってこられたのですね。卒業後は、すぐに仕事が見つかりましたか?」
- 勝見
- 「仕事は、なかなか無かったです。それでも実家が食堂をやっていた関係で、人が出入りするものですから、近くの『清野工機製作所』で働かないかと勧めてくれた人がありました。試しに行ってみたら、その仕事が気に入ったんです。10年務めました。」
- 里枝子
- 「その後、上田市の『川久保製作所』に就職されたのですね。『川久保製作所』はどんな会社ですか?」
- 勝見
- 「色んなメーカーの部品をつくっている金属部品加工の仕事をしています。今は32人程の人が働いています。障害者は私と知的障害の方の2人です。」
- 里枝子
- 「何年間、『川久保製作所』で働いていますか?」
- 勝見
- 「32年です。その前に10年働いておりますので、合わせて42年、ずっと勤務をしております。」
- 里枝子
- 「素晴らしいですね!ということは、定年退職した後、再雇用されたのですか?」
- 勝見
- 「私も60才で退職になるんだろうと思っていましたけれど、退職の2年前に社長さんから話がありまして、私の仕事を技術的にやれる人があまりいないもので、ぜひこのまま退職せずに5年間勤務してほしいという依頼がありました。それで、そのまま雇用されております。」
- 里枝子
- 「勝見さんは会社から必要とされていらっしゃるんですね。」
- 勝見
- 「はい、そうです。私には、まだ体力がありますし、会社からあてにしていただいておりますので、もうしばらくは頑張って務めたいと考えています。」
この対談では、通訳を手話通訳者の太田道子さんにお願いしました。私は目が見えないので、太田さんに勝見さんの表情なども伝えてほしいとお願いしたところ「とてもにこやかで自信をもった表情をしていらっしゃいます」「今、その頃のことを想い出しているのか、全て懐かしいというお顔をしていらっしゃいます」などと、説明を加えてくださいました。お陰で、私にも勝見さんの明るく誠実なお人柄が充分に伝わり、安心した気持ちでお話を伺うことができました。
- 里枝子
- 「勝見さんは、どんな仕事を担当していらっしゃるのですか?」
- 勝見
- 「主にフライス盤の仕事です。後、部品をきれいに整える研磨の仕事。他にも頼まれて、その都度仕事の内容は変わってきます。」
- 里枝子
- 「フライス盤というのは、どんな仕事でしょうか?」
- 勝見
- 「まず、詳しい図面をいただきまして、細かくチェックをし、フライス板の装置に入力します。つまり、コンピューターの機械を使って、ドリルで穴を開けたり、角のある物をカットするなど、ひとつの鉄だとか、アルミだとか、鋳物など、指定された材料で、依頼された形に合わせて部品をつくっていく工程をやっています。コンピューターに指示して調整が終わると、後は機械が自動でそれをつくっていきます。その前段階ですので、カットの仕方、ドリルで穴を開ける場合の大きさ、深さ。そうしたことには常に神経を使ってやっています。」
- 里枝子
- 「熟練が必要でしょうね。」
- 勝見
- 「入社した時から、機械を色々覚えてきましたので、最近は自由に機械を操ることができるようになりました。健聴者と比べても、技術的には負けず劣らず。ひょっとすると俺の方が上手にできるかもという感じを受けています」(笑い)
- 里枝子
- 「仕事の難しい面はどんな所ですか?」
- 勝見
- 「図面の数が、ものすごく沢山くるんですね。一つ一つそれに合わせて調節しなければならないというのが気をつかいます。いつもやっているものなら、『あっ、これか、OKだ』っていうふうに簡単にセットができるんですけれど。結構難しい、その都度違う図面がきます。自分では、できるだけ積極的に難しいものに取り組むようにしています。」
- 里枝子
- 「職場での言葉のやりとりはどうしていますか?」
- 勝見
- 「色んな人がいますが、皆さん聞こえないということを理解してくれています。口話の方もいますし、筆談してくれる人もあります。手話を使ってくれる人は、少ないですけれどあります。社長は私にゆっくり話してくれますので、ほとんど口話で読みとることができます。また、ずっと昔から同じに勤務している人たちの言葉は、スムーズに読みとれます。」
- 里枝子
- 「職場の方たちからの協力で、助かったのはどんなことですか?」
- 勝見
- 「入社した時から、社長さんや上司の方たちの配慮があって、続けてこれたと思います。手話サークルに通って手話を覚えてくれた友達がいたり、問題がおきた時に、そのことを丁寧に説明してくれた先輩がいました。朝礼や何かで、私は聞こえないわけですけれど、仲間が、筆談してくれたり、ゆっくり口話で話してくれます。そういう気持ちの面のフォローをしてもらったので、ずっと続けることができました。それから、音を聞いて『今日、機械の調子、おかしいぞ』って、他の人から教えてもらうことがあります。機械は音で判断するところがあるので、そこの部分はフォローしてもらっています。」
- 里枝子
- 「逆に勝見さんが周囲の方を助けたことも多かったでしょうね。」
- 勝見
- 「経験のない人はわかりませんので、たとえば機械の調整がうまくいかないといった時には、自分の知っている技術を教えてあげることがあります。書いて教えてあげたり、近くへ行って教えてあげたりしています。機会の仕事は健聴者の人は書いて覚える人が多いんですが、俺の場合、なるべく目で見てわかるように覚えてきたものですから。」
- 里枝子
- 「最後になりますが、聴覚障害者の雇用を考えている方々へのメッセージがありましたら、お話しください。」
- 勝見
- 「ぜひ、雇ってみてほしいと思います。コミュニケーションの問題で、会社の立場とすると、雇用が難しい面があると思いますけれど、慣れていただくことが大事だと思います。コミュニケーションの方法は色々あります。筆談もありますし、口話もあります。筆談は普通に書いても良いですし、要点だけを書く方法もあります。口話は、初めはわからない場合がありますけれど、私たちはその人の口形に慣れることによって、読みとることができますので、大丈夫です。
勝見定弘さんは平成15年に「日本障害者雇用促進協会」から、県下初の「優秀勤労障害者表彰」を受けました。勝見さんは終始にこやかで穏やか。こんな前向きな技術者が傍にいてくれたら、共に働く人々も心強いことだろうと感じました。
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