里枝子の窓 公式サイト

トップ > インタビュー「私と仕事」/第8回 小澤孝二さん

インタビュー「私と仕事」

第8回 「グループホーム北小松アパート」世話人、小澤孝二さん 2007・3

 今回は、精神障害をもつ当事者であり、精神障害者グループホーム『北小松アパート』の世話人をしておられる小澤孝二さんを訪ねて、お話を伺いました。精神障害者グループホームとは、地域で生活を始めようとする精神障害のある方に、生活の場を提供し、世話人が中心になって日常生活の援助をしている所です。

  小澤さんが働く『北小松アパート』は、松本市の「あがたの森公園」の近く。私とヘルパーさんと盲導犬のネルーダが車から降りたつと、小澤さんは、明るい親しみのこもった様子で、私達を出迎えてくださいました。

 『北小松アパート』は2階建てのごく普通の住宅で、7部屋あります。私達は、居心地のいい食堂で、小澤さんが入れてくださった温かいコーヒーを頂きながら、お話を伺いました。

里枝子
「小澤さんは北小松アパートのHPに 『不器用な自分、ぶざまな自分、それもこれも みな自分のもの許してあげよう、そんな自分を 慈しんであげよう』と書いておられましたね。 胸に染みて、何度も読み返しました。」
小澤
「でも、そこに行きつくには、すごーい 時間がかかりました。」

 小澤さんは、松本市の生まれで、現在56才。東京へ出て、芸大をめざして浪人していた24才の時に、統合失調症を発病。2年間、アパートに引きこもっていましたが、その後、ちり紙交換の仕事を始め、30才のときに古本屋を開業しました。

小澤
「古本屋は10年間続けました。40才で、発作に妄想に幻聴に、出るものは全部出ましてね。兄弟が上京してきて、店も処分して、松本に帰ってきたんです。」
里枝子
「どうしてグループホームの設立に関わることになったのですか?」
小澤
「松本に帰って、病院のデイケアに通っていたんですね。それから仕事をしたんですが、自分がつぶれて。その時に、作業所って所があるって教えてもらったんです。ところが、色んな手続があって、すぐには入れないと言われて。じゃあ、どこかすぐ行ける所がありませんかって聞いたら、松本に『ひなたぼっこの家』というのがあるよって言われて行き始めたんです。そこはボランティアと当事者だけでやっていて、そこに行き始めてから変わりだしました」
里枝子
「何が変わりましたか?」
小澤
「そこでは、自分がこんなつらい思いをしたんだよって話を、みんなしてるんですよ。こんなことがあったとか、こんな幻聴があったとか。へえ、そうなんだ。俺もあったんだよって、初めてそこで同じ仲間と出会えました。そこでは色んな問題もおきるんですが、夜遅く、2時、3時まで、みんな頭をつきあわせてどうしようかって話をしてるんですよ。その中で、それまで穴を掘って埋めて、石を乗っけて、見まい見まいとしてきたために自分では相えなかった自分との出会いがありました。解けなかった知恵の輪がぽっと解けたんです。それから段々と自分と向き合えるようになってきました。今から7、8年前のことです。『ひなたぼっこ』の自由な空気に触れて、自分でもっと何かやりたいなあって言う気持ちが芽生えて、物件を探したりしてたんですが。ちょうどグルームホームを作ろうかっていう話が湧き上がってきたんで、参加して、ここの職員になったわけです。」
里枝子
「グループホームを始めた時、地域の方の理解はすぐに得られましたか?」
小澤
「ここを立ち上げる前に、浅間という所でやろうということになって、住民の方達と6回か7回、話し合いましたが、結局そこを断念しました。で、ここに物件が見つかった時には、地域の役員の方だけに話して、入った後に近くの方をここにお呼びしたんです。そしたら『話が逆じゃないか』って叱られました。でも、入ってしまったものだから、その後通信を出したり、ゴミ出しだとか、町内の一斉清掃だとか、こまめにやるようにしました。で、1年半ぐらいした頃だったか、机を叩いて『逆じゃないか!』と言った人が、『いいよいいよ、貴方たち、しっかりやってるから、そんなに気をつかわなんで』って言ってくれるようになったんです。(笑い)」
里枝子
「よかったですね!利用者は、ここでどんな生活をしてますか?」
小澤
「今は、男性5人が利用しています。個人個人の部屋があって、それぞれに鍵を持っています。門限があるわけじゃなくて、まあ、9時には閉めようってことにしてますが。普段はそれぞれ作業所や授産所に行っています。もちろん家賃や食費は払ってもらってます。5万ちょっとかかるので、年金と稼いだお金できちきちですね。」
里枝子
「小澤さんは、ここで主にどんな仕事をしていますか?」
小澤
「ここの仕事は、70パーセントが 主婦の仕事なんです。朝昼晩の食事を作ること がメインです。後は、掃除をして、事務仕事を して、話し相手になって、それから何か頼まれ ればします。今は、下駄箱作ってますけど。最 初の1年半ぐらいは24時間、365日、泊まり もボランティアで入っていました。今は、私が 月に22日出てきて、10日をパートの女性が入 っています。それ以外は全てボランティアで、 4人か5人、夕飯を作りにきてくれる地域の主婦の方がいます。その方々が来るのを、利用者の人たちは楽しみにしています。」
里枝子
「ここに来て、安心できるようになった方もいらっしゃるでしょうね。」
小澤
「皆さんそうです。病院生活に比べたら、もう病院には戻りたくないと言いますね。みんな病院から直接来ているんです。」
里枝子
「精神病院とグループホームでは、生活がどう違うのですか?」
小澤
「病院には色んな規制があります。煙草は一日何本とか。閉鎖された病室もあったり、外出する時間も決められているとか。デイケアに通わなければならないとか。ともかく制限がたくさんありますが、ここの規制は、薬を飲むことと、煙草は喫煙室で吸うことと、掃除をすること。これだけです。(笑い)15年病院にいた人がいるんですが、病院てね、本来人間がやらなきゃいけないことを職員がやってしまうんです よ。その中で自立心が失われていく。その人は、 ここで今、とまどいながらも失ってしまっていた 自立心を取り戻しています。」
里枝子
「小澤さんが世話人として大事にしたい のは、どんなことですか?」
小澤
「自分の弱さを出しても安心な場ができ ればいいなあ。まだまだですけどね。今、始めて いることは、自分の体験を話しています。個人個 人に話していますが、みんなで話せるようになればいいなと思っているんです。ただ、精神障害って、心に余裕がなかったら、私のしゃべった言葉も入っていかないんですよね。弱さを出してもいいよっていうあったかい豊かな場づくりができれば、言葉が出てくるんだと思います。」
里枝子
「ところで、小澤さんにとって、この世話人の仕事は、障害を持って経験してきたことを生かせる、願い求めてきた仕事ではないでしょうか。」
小澤
「そうです。最近、私のように当事者が福祉の場に立つことが出てきてますよね。自分が体験してるから、相手の気持ちもわかるし、福祉の場で働く当事者が、もっともっと増えてほしい。いくらよくやってくれる職員がいても、横のつながりがなかったら、その職員がいなくなった時にはばらばらです。横のつながりは何かって言ったら、やっぱり、弱さを出せる場の豊かさだろうと思うんです。人がつながるのは強さではなくて、弱さでつながっているんだという人がいるんですが、私もそう思います。」

 インタビュー「私と仕事」目次へ戻る

 トップページへ


©2001-2007 Rieko Hirosawa. All Rights Reserved.