第18回 令和5年度 片岡好亀賞 受賞記念スピーチ
2023年12月16日
広沢里枝子
この度は、片岡好亀賞をいただきまして、本当にありがとうございます。愛盲報恩会様より、「片岡好亀賞」をいただきましたことは、私にとりましては、心のふるさとである名古屋の皆様から、改めて温かな励ましをいただいたような特別の喜びでございます。
私は、学生時代に進行性の網膜の病気のために急速に視力が落ちまして、途方にくれておりました。そんな大学4年生のときに、たまたま見学に行った名古屋ライトハウス点字図書館で、当時の図書館長であった岩山光男先生に出会うことができまして、ぜひともこの方の下で働きたいと願いました。
そして、おかげさまで1981年から3年間、名古屋ライトハウス点字図書館で、職員として、働くことができました。私は、子どもの頃から弱視でしたが、ずっと普通校でしたので、盲学校に行ったこともなければ、リハビリテーションを受けたこともなかったのですけれど、こちらの名古屋ライトハウスに就職してから、視覚障害の先輩方や、職員の方々、支援者の方々に出会って、見えない人生をどう生きて行ったらいいか、その後の人生を切り開く基盤になることをたくさん学ばせていただきました。近藤先生、片岡先生からも、よく温かく声をかけていただきましたし、岩山先生からは、常に真剣に教え導いていただきました。たとえば点字で原稿を書くときなども、「里枝子なら、もっと書けるはずだ。もう1回書いてみろ」と何度も原稿を返されまして、何日も徹夜して書いたことなどもありました。それでも、私が初めて完璧な「点字図書館だより」の点字原稿を書きあげた時には、岩山先生は、すごく喜んでくださいまして「里枝子に金一滴をもらった!」とおっしゃって、図書館職員全員を招いてお祝いをしてくださったことなども、今、懐かしくありがたく思い出しております。
ところで、今回、片岡好亀賞の受賞理由を読ませていただいて、ああ、大きく分けて、二つのことを評価していただいたんだなあと感じて、私は、とても嬉しかったです。
まず、一つ目に、私が信州に根をおろしてから続けてきた、さまざまな社会的な活動をまるごと評価していただいて、ありがとうございました。SBCラジオ「里枝子の窓」のパーソナリティを担当してきたこと。講演活動。長野大学非常勤講師として学生を指導したこと。ピア・カウンセラーとして障害のある仲間の支援にかかわってきたことなどを全部上げて、「いずれの活動も20年以上になる」と書いていただきました。これを読んで、ああ、一つ一つの仕事を認めていただけたんだなあと感じました。実際のところ、私は非常に交通の不便な山の上の僻地に住んでおりまして、信州に嫁いでからは、ずっと大家族の主婦でした。二人の息子の子育てや、病気の義母の見守りなどをしながら、それでも私に出来ることを探して、出来ることがあればとにかく精一杯やる、それだけでした。今も多くの障害のある女性たちが、家事、育児、介護などをしながら、その中でも社会貢献出来ることを探しながら頑張っておられることと思いますが、女性にとってまっしぐらに自分の仕事に集中して社会的に功績を残すということは、まだまだ簡単ではありません。ですが、今回、愛盲報恩会の皆様が、このような女性の働き方をまるごと高く評価してくださったことに、私は希望を感じております。
そして二つ目に、瞽女唄を多くの人と分かち合いたいという私の願いを汲んでいただいて、本当にありがとうございます。私は2001年に、ラジオの仕事で、最後の瞽女と呼ばれた小林ハルさんの瞽女唄を直にお聞きして、強い衝撃を受けました。瞽女唄を習い始めたのは、それから10年以上もたって、55才からの出発でしたから、瞽女唄を習い始めて来年でやっと10年です。ですが、私自身が、この瞽女唄にとても魅かれていまして、喜びにあふれて歌っています。瞽女唄が、決して過去の化石のようなものではなくて、今も聴き手の皆さんと分かち合える生きた芸だということも、舞台で演奏する度に、実感しています。この頃は、演奏の依頼も増えまして、今年の春には、岐阜アソシアで、岐阜県の視覚障害者福祉協会の皆様に瞽女唄をお聴きいただける機会を与えられました。皆さん、熱心に聴いてくださって、図書館の建物がぐわんぐわんと揺れるような錯覚がおきたくらい、私も唄にのめりこみました。山田館長先生と、視覚障害の大先輩である、肥田隆久さんに、このときの演奏をじかに聞いていただけたことも、ありがたかったです。その後、肥田隆久さんから「おまえさんは、あれだけ喋れて、あれだけ唄えるんだから、長野あたりで、うろうろしてちゃだめだぞ。全国へ行って唄わなきゃだめだ。片岡好亀賞に推薦しておくからな」と言っていただきまして、「え?そうなんですか」と、びっくりしているうちに、ここに引っ張り出していただきました。肥田先輩、やっぱりすごいです!
瞽女唄は、私たちの先輩である無数の瞽女さんたちが、厳しい人生を生き抜いて伝え遺してくださった貴重な芸です。今は、小林ハルさんの最後のお弟子さんである萱森直子先生が、リモートも使いながら、瞽女唄を私たちに教えてくださっていますが、受け継いで演奏している奏者は、まだ多くありません。中でも、目の不自由な演奏者は、まだ私、一人です。若い人でこれを聴こう!唄おう!という人がいなければ、瞽女さんたちが命がけで伝えてきた唄も、まもなく消えてしまうかもしれません。ですから、これからもどなたにも瞽女唄をお聴きいただきたいわけですが、私は、特に、目の不自由な皆さんや、若者たち、子供たちにも、ぜひぜひ瞽女唄を生でお聴きいただきたいと願っております。ぜひこれからも、そんな機会を作っていただけますと、ありがたいです。振り返りますと、私がこれまで歩んでこれましたのは、すばらしい導き手に恵まれましたことと、ボランティアの方々をはじめ、家族や友人たち、多くの方に支えていただいたおかげさまでした。慎んで感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
では、最後にひとつ、短い瞽女唄を唄わせていただきます。小林ハルさんも、晩年まで唄っておられた「瞽女松坂」という門付け唄を唄います。瞽女唄は、唄も三味線も荒々しいのが特徴です。特に門付け唄は、家の軒先や、玄関先から、奥にいるかどうかもわからない人々に向かって叫ぶようにして唄ったそうです。では、お聴きください。
近藤正秋賞・片岡好亀賞について(https://nagoya-lighthouse.jp/initiatives/aimou/award.html)