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放送日:2018年7月28日

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 こんにちは。広沢里枝子です。
 私は、6月22日から26日まで、沖縄へ3度目の旅をしてきました。「信州沖縄塾」の門屋和子さんと、伊波繁子さん、そして、沖縄の方々のご協力によって実現した旅でした。その旅のようすを私が収録してきた沖縄の人々の歌やお話、海の音などを交えつつ、宮嶋ディレクターとおしゃべりしながら報告します。
 今回の旅は、「瞽女唄を携えて、沖縄平和巡礼の旅」でした。まず、6月23日、沖縄慰霊の日に、私達は、「第32回カトリック那覇教区平和巡礼」に参加しました。100名余りの方々と共に、小禄教会から、糸満の魂魄の塔まで、炎天下、16キロを歩きました。沖縄戦当時、10才だったという二人の高齢の女性達からは、貴重な戦争体験を伺いました。
 翌日、私達は、東村高江で開かれた「沖縄県東村高江座り込み11周年報告会」に参加して、オープニングで瞽女唄を演奏させていただきました。沖縄で越後瞽女唄が演奏されたのは、初めてだったろうと思います。この集会には、県内各地から住民が集まり、軍事の拡大が進んでいる現状や、住民の方々の取り組みが報告されました。その中で、与那国島から来た若いお母さんから、信州に住む私たちへのメッセージを預かりましたので、これもぜひ、お聞きいただきたいと思います。
 その後、私達は名護市の屋我地島にある「国立療養所沖縄愛楽園」に泊まりました。「愛楽園」では、職員と入居者の方々に温かく迎えていただき、瞽女唄の演奏も聞いていただきました。ハンセン病は、治療法も確立し、一般の医療施設で診察治療できるごく普通の疾患です。それにもかかわらず、療養所には、過去の偏見差別等から社会に復帰できずに今でも多くの方が生活の場として暮らしています。そんな療養所の実際のようすもお伝えしたいと思います。どうぞ、お聞きください。

■「里枝子の歌日記」から
眼にしみる汗も拭わず巡礼の列に従い炎昼(えんちゅう)を行く
夜(よ)をとおし逃げて着きたる糸満の海に米艦ひしめきていき
生き残り曾孫はあれど「戦争は終わっていない」と老婆は語る
わが身より孫子と島の行く末を老婆は深く愁いていたり
魂魄の塔に白菊捧げつつわれも不戦の決意固める
食卓にハイビスカスの赤き花飾りて偲ぶ沖縄の旅

(文/広沢里枝子)

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