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里枝子のエッセイ

越後瞽女唄探求の旅 六の段 2021年の歌日記から

作成年月日 2022年1月20日

 2021年の瞽女唄の旅を今回も短歌で振り返りました。短歌だけでは、わかりにくいという声を頂戴しましたので、今回は、解説文も増やしてみました。
 ただ、私にとっては、その日その場所で詠んだ短歌こそが、凝縮された人生の記録であり、くっきりと刻まれた自分の足跡そのものです。そんなわけなので、拙い歌日記からの抜粋ではありますが、これらの歌から、私の体験と思いを汲みとっていただけましたら幸いです。

三味線

 2021年の日本は、前年からのコロナ感染が収まらず、感染が次第に広まったり、次第に落ち着いたりしながら続いた1年でした。
 そんななか、私にとって、大きな目標である鴻巣市の「紫苑コンサート」が、前年に続いて、更に1年延期になったのは、非常に残念なことでした。しかしそれは、紫苑コンサートの主催者の小林玲子さんとよく話しあい、何よりもお客様の安全を第一に考えて決めたことでした。
 一方で、コロナ禍にあっても、瞽女唄の演奏などの表現活動を続けるために、友人や専門家にご協力いただきながら、新しく取り組んだこともありました。
 年頭の挨拶と「コロナ禍応援歌」の演奏。そして、「子ども保養サポート上田」での瞽女唄コンサートは、ユーチューブで視聴できるプロモーションビデオになりました。そして、「広沢里枝子さんの『瞽女唄の息吹』コンサート応援グループ」のフェイスブックや「里枝子の窓」のホームページで公開され、各地から視聴していただけるようになりました。
 また、大鹿中学校の皆さんは、私がコロナ禍にあっても講演活動をつづけられるように道を開くため、講演会を初めてオンラインで実施してくださいました。

 しかし、この年は、私が3月末に大腿骨折などの大怪我をしてしまい、百日近く入院したために、瞽女唄の旅を中断せざるをえませんでした。
 私は、7月はじめに退院しましたが、それからも腰が痛んで身体を起していられなかったり、手に力が入らないために三味線の糸巻が回せないといった日々が続き、気持ちが焦りました。
 それでも、なんとか自分なりに努力を重ねて、「葛の葉」を1段から4段まで徹して唄えるように復習したり、高田瞽女の「かわいがらんせ」や「山椒大夫」などの新曲の稽古に取り組みました。
 それらの演奏を萱森直子先生にオンラインで聞いていただき、ご指導をいただけるまでに回復したのは、9月はじめのことでした。萱森先生から「広沢さんが、また演奏できるまでには、まだずっとかかるだろうと思って心配していたの。よく頑張りましたね。私は満足です。」と言っていただいたときには、険しい峠道を越えて、ようやく里に降り立ったように安堵しました。

 そして、日本では、2021年の10月から12月にかけて、コロナ感染の広がりが、徐々に落ち着きを見せました。そのために私も、念願だったコンサート等での演奏を再開できました。
 まず、10月はじめには、瞽女の里である新潟県高田の「瞽女ミュージアム高田」で演奏させていただきました。その頃はまだ、電車に乗って出かけることも不安でしたが、アイメイトと二人で、演奏の旅に出かけ、素晴らしい出会いを体験して、無事に帰ってこれました。
 また、10月の末に「みんなの皆野」に出演するため、心の故郷の秩父郡皆野町に着いた夜には、疲れすぎて、横になったまま打ち合わせに参加するような状態でした。けれども、翌日に「森のホール」で懐かしい皆さんに迎えていただき、爆発するように唄った後では、まるで底が抜けたように晴れ晴れとして、元気回復しました。
 そんな1年間の瞽女唄の旅を短歌で報告いたします。

○1月2日
 ダンデライオンベースの花さんと、きづなさんに依頼して、新年のご挨拶と新曲演奏のプロモーションビデオを製作することにしました。
◇コロナ禍で会えぬ今年も瞽女唄を届けんとして知恵を絞りぬ
◇若くして起業をしたる才女らに瞽女唄動画の製作頼む
◇「心こめ動画製作いたします」新人社長の透き通る声

○1月3日
 ダンデライオンベースの花さんと、きづなさん、そして朝子さん。皆さんのおかげで、すてきな写真をたくさん入れたPVができて初夢が叶いました。
◇ 瞽女唄で笑ってもらう初夢を叶えてくれた友とその娘(こ)ら
◇ わがために尽くしてくれた娘らに友は上寿司ふるまいくるる
◇ わが友よいつも本当にありがとう元気になってくれてありがとう

○1月16日
 3月に予定していた「紫苑コンサート」について、主催者の小林さんと話し合い、延期を決めました。お客様の安全を考えての苦渋の選択でした。
◇フェイスブックの初投稿は残念なコンサート延期の知らせとなりぬ
◇目標としてきし紫苑コンサート今年はならず来年になる
◇来春となりたる紫苑コンサートへ向けて新たなスタートを切る

○1月21日
 大鹿中学校オンライン人権講演会にて講演と瞽女唄演奏。永池校長先生が私の家に来て、パソコンのサポートをしてくださり、オンラインによる講演と演奏が実現しました。
◇大鹿中の校長先生の熱意もて実現したるオンライン講演
◇講演の援助せんとて大鹿中の校長先生わが家へ見える
◇大鹿中の全校生徒十三人われの講演待ちているとう
◇まなうらに生徒らの顔浮かべつつ画面に向かい講義始める
◇アイメイトが画面に映りたるらしく生徒らワアッと明るく笑う
◇生徒らはわれに向かいて語りかけるような口調で質問をする
◇質問を受けて失明宣告を受けたる後の心境話す
◇大鹿歌舞伎演ずる生徒らにわれは三味もて「葛の葉」唄う
◇わが唄に強さと明るさ感じたと大鹿中の女子生徒言う
◇アイメイトと並んで画面に手を振れば生徒も皆で手を振りくるる
◇生徒らの声遠ざかりわれもまた惜しみながらに画面を閉じる
◇コロナ禍で閉ざされていし交流の扉開かるオンラインもて
◇コロナ禍のもたらせしもの視力なき吾も居ながらにして講義する

○2月5日
 ご近所の「どう屋」のえみさんが、和服地で「唄えるマスク」を作って届けてくださいました。また、私が子ども時代から使っていた三味線の長袋も繕ってくださいました。
◇コロナ禍にありても唄えるようにとて友に手作りマスクいただく
◇給わりしマスクは古き絹織の羽織を解きて縫い上げしもの
◇不安なく唄えるようにと友縫いし絹のマスクは顎まで覆う
◇山吹色の唄えるマスクを師匠へと春の便りに添えて贈りぬ
◇半世紀三味を入れきし長袋友がほころび繕いくるる
◇繕いし長袋もて絹衣着付けるように三味線くるむ

○2月18日
 この日から、高田瞽女の唄「かわいがらんせ」の稽古を始めました。杉本キクイさんたちの昭和の録音を何度も聞きながら、音を取ることから始めました。
◇小鳥らの歌に目覚めてわれもまた新しき歌唄いたくなる
◇瞽女唄も1回ごとにバリエーションわたしの唄も小鳥と同じ
◇群れて鳴く雀さながら軽やかに高田瞽女さの三味線の音
◇高田瞽女の昭和の録音聞きながら音探りつつ稽古始める
◇雪解けを待ちて三味線打ち鳴らし信濃めぐりし高田瞽女たち
◇この春にわれが演じる瞽女唄は高田瞽女さの「かわいがらんせ」

○3月8日
 「広沢里枝子の越後瞽女唄チャリティーコンサートin保養の家・武石」が開催されました。古民家の座敷に集い、まるでかつての瞽女宿のような楽しいひと時でした。
◇浜子さんに紬の着物を着せてもらい保養の家へ演奏に行く
◇瞽女唄を楽しまんとてお客様保養の家の座敷に集う
◇古民家の座敷に集い「葛の葉」にじっと聴き入るお客様たち
◇瞽女万歳のりて歌えば客たちも声あげ笑い瞽女宿のよう
◇瞽女宿にいる心地して眼(まなこ)閉じわが唄聴いたとお客様言う
◇子どもらにも瞽女唄聞かせてくださいとお客様から次への提案
◇放射能避けて保養するご家族の安全願いコンサート閉ず
◇手作りのケーキやお菓子をいただいて三味と揺られる帰りの車

○3月23日
東御市社会福祉協議会主催の「福祉教育サポーター養成講座」で講義と、視覚障害者のガイド体験の指導をし、最後に皆さんの手拍子で「アイメイト音頭」を唄いました。
◇共に生きる社会をめざすわが講義聞かんと居並ぶ若き母たち
◇盲人の体験せんとアイマスク着けてガイドと歩く受講者
◇アイマスク付けたる人とガイドをば追い越してゆく盲導犬は
◇手拍子を受けて「アイメイト音頭」をば唄いて結ぶボランティア講座

○4月3日
 大腿骨折などをして、総合病院に緊急搬送されてから4日目。まだベッドの上で身動きもできない状態でしたが、この日、朝子さんとラインでやっと会話ができました。
◇家族や友と話をしたい一心で苦手なスマホの操作覚える
◇身動きもできないわれに親友は「貴女のコンサートを開くよ」と言う
◇「コンサート開くのだからよくなって」友の励まし身に沁みて泣く
◇病床に動けぬわれを朝夕に案じてくるる家族や友よ

○4月12日
 大腿部に人工関節を入れる手術を受けてから六日目。入院以来つづけていた酸素吸入の管がようやく外され、少し声が出るようになりました。
◇酸素吸入十日もしたる身なれどもわずかに声出し唄いはじめる
◇病床に動けず見えぬ身なれど「さくら吹雪」の歌口ずさむ

○6月2日
「鹿教湯温泉病院」に転院してから1か月。転倒防止ベルトを付けて、理学療法士さんに付き添ってもらいながら、ゆっくり歩き、文殊堂へ続く五台橋まで行けました。
◇温泉街から文殊堂へと向かう道渓流に沿いゆっくり歩く
◇PTとベンチに涼む屋根付きの木の五台橋渡り来たりて
◇現世と神の世界を結ぶとう五台橋にて瞽女唄唄う

○6月8日
 ついにリハビリの目標だった文殊堂まで作業療法士さんと行きました。その境内で松ゼミと合唱するように「お茶和讃」を唄い、作業療法士さんに聞いていただきました。
◇つばびろの帽子を被りOTと文殊堂への坂道登る
◇波乱万丈のわが人生のさながらに痛みに耐えてリハの歩を踏む
◇たどり着けば川風涼し五台橋 谷間に響く松ゼミの声
◇県宝の鹿教湯温泉文殊堂その境内で和讃を唄う
◇文殊堂の濡れ縁に座し松蝉の鳴く音に和して唄う瞽女唄

○10月3日
瞽女ミュージアム高田の秋の企画展の特別イベントで、盲導犬との体験談を語り、瞽女唄を唄いました。半年にわたる療養後の復活演奏になりました。
◇療養の半年終えてアイメイトと新幹線で瞽女唄の旅
◇ラブラドールが大好きという井上さんに抱きとるように迎えてもらう
◇秋晴れの新潟平野を走りぬけ瞽女の里なる高田へ向かう
◇瞽女のさと雁木のまちに降りたちぬ三味を背負いて盲導犬と
◇この地にて瞽女と暮らした人々の文化伝える「瞽女ミュージアム」
◇昭和まで高田瞽女さを温かく世話せし家に吾も迎えられ
◇鱈飯は上越名物と言うだけに実に味よく舌鼓うつ
◇荷を背負い三人連れで旅をする瞽女さの像にもろ手で触れる
◇斎藤真一の原画を前に目に浮かぶ雪野の白さと夕映えの赤
◇ご当地の「着物の小川」で仕立てたる衣装に初めて袖をとおしぬ
◇紺色が主体の衣装襟と帯に夕日のごとき赤色映える
◇衣装着て三味を抱えて腰おろす感染予防のパネルの前に
◇瞽女宿の昔を今に拍手もて迎えてくるるお客様たち
◇高田にて最初に唄う瞽女唄は高田瞽女さの「かわいがらんせ」
◇子別れの母の身になり「葛の葉」をわれは唄いぬ三味を弾きつつ
◇ここに生きた名もなき瞽女に思い馳せちからの限りわれは唄いぬ
◇姉妹弟子3人そろい瞽女唄の和讃を唄う声を重ねて
◇吹き抜けの高天井のお座敷の壁を震わす「さずきもんたち」
◇農民と瞽女をつなぎし人情にふれたる思い別れを惜しむ
◇上田駅に下りれば夫が改札に待ちいてわれに声かけくるる
◇改札を抜けたるわれはアイメイトと夫にかけ寄り腕に跳びこむ
◇演奏の復活祝い久々にインド料理を夫と味わう

○10月31日
 秩父郡皆野町の「森のホール」で「みんなの皆野」3度目の開催。その晩は、実行委員のみんなで祝杯をあげ、同級生だった根岸さんの打ち上げる花火に感動しました。
◇行きたい所へ行ける喜び噛みしめつつ盲導犬とふるさとの旅
◇赤子生むがに腹から声出す瞽女の唄「森のホール」に響きわたれと
◇花火師はわれの旧友打ち上げる尺球次々頭上に開く
◇イベントの成功祝うがに上がる花火の音は山に木霊す

○12月4日
 「宮沢賢治 雨ニモマケズを朗読する会」で、「アイメイト音頭」を唄いました。上田演劇塾の子供たちが、私とアイメイトを囲んで賑やかに拍子を取り、合いの手を入れてくれました。
◇アイメイトは見上げているらし子供らと「アイメイト音頭」を唄う私を
◇子供らと会場の人らとアイメイトと皆に囲まれ唄う歓び

○12月24日
「里枝子の窓」の番組の最後に瞽女唄の「金の生る木」を朗らかに唄いました。また、夜には、心をこめて感謝の唄を唄いました。
◇令和三年唄い納めはおめでたい「金の生る木」を電波に載せて
◇令和三年九死に一生得たる年われは聖夜に感謝の歌を

三味線