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30周年記念エッセイ “里枝子の窓”から広がる世界」

作成年月日 2021年12月8日

 「こんにちは!広沢里枝子です」
 マイクに向かって、そう呼びかけると、目の前にぱあっと窓が開いて、この時間を待っていてくださる聴取者の方たちの笑顔が見えてくる気がします。
私がSBC信越放送で毎月1回担当しているラジオ番組「里枝子の窓」では、目の見えない私と盲導犬との日常の体験をありのままに伝えながら、子育て、福祉、共に生きる街づくりを問いかけてきました。番組を聞いて、心のこもったお手紙をくださる方々もあり、ラジオは、見た目にとらわれずに心をまっすぐに伝えあえる貴重な媒体だと感じています。
 また、番組では生き生きと地域で暮らす障害のある人々や、共に働く人々、独自の問題意識をもって活動に取り組む人々などから、毎回、人生に触れるお話を伺っています。
 おかげさまで「里枝子の窓」は、昨年4月に放送開始から30周年を迎えました。多くの方々に出会い、支えられてきた番組の歩みは、私自身が、多くの心ある方々に支えていただきながら道を開いてきた1歩1歩でもありました。そんな年月を振り返りながら、この原稿を書いてみます。

2021年7月

ラジオの窓が開く

 私は結婚のために信州に来て、出産後、まもなく失明しました。当初は出歩くこともままなりませんでしたが、盲導犬を得て、2人の幼い息子たちと街に出るようになりました。
 しかし当時は、店でも、バスでも、病院でさえ、盲導犬拒否を受けました。そんな悩みを取材に訪れた信越放送の岩崎信子さんに打ち明けたところ、「ラジオは心を伝えることのできる媒体です。ラジオから街の皆さんに語りかけてみませんか」と、出演を提案されました。
 私はアナウンスや朗読の訓練など受けたことのない素人です。けれども、そのとき「やってみます!」と即答しました。自分から語りかけることで社会の壁を少しでも崩したいと思ったのです。

 放送開始は、1991年4月。番組名の「里枝子の窓」には「大きく開けた窓を通して聴取者の皆さんと心の交流をしたい」という思いを込めています。
 はじめは、信州の東信地区が対象の15分番組でした。初回は、信州の民話を点字で朗読しました。その後、対談や取材の旅、公開録音と発展していきました。
 ディレクターの岩崎さんは、私が力いっぱいジャンプして届くか届かないかのところに次の目標を設定するので、1回ごとが、どきどきしながらの挑戦でした。聴取者の皆さんからも、たくさんハガキをいただくようになり、そのおかげで、「里枝子の窓」は、半年後に長野県全域対象の30分番組に発展しました。
 数年後に、1度だけ休廃止の論議もありましたが、聴取者の皆さんが「この番組は、自分たちが発信する場でもあるんだ」と多くの署名を集めて番組を支えてくださいました。聴取者の支援に支えられての30年でした。

私たちのスタンス

 2017年4月から、番組のディレクターは、宮嶋美紀さんに代替わりし、二人三脚で番組を作っています。しかし、番組製作のスタンスは変わりありません。
「里枝子の窓」は、障害者も非障害者も両方が交われる窓口でありたいということと、中央から地方へという発信の流れの中で、長野県の東信地区に根を下ろし発信していくことをスタンスにしています。派手なイベントよりも、地道な日常の積み重ねに光を当て、登場される方の生きるパワーにふれるお話を聞きたいと心がけてきました。

 私たちの番組には、次々と紹介したい方が現れます。「協力者を募りたいので、番組で呼びかけさせて」とか、「目の見えない仲間で本を出したので紹介してほしい」などの声が地域の方たちからかかる時、発信の窓口として番組を活用してもらえることを、何より嬉しく思います。
 特に「里枝子の窓」には、この30年間に、様々な障害をもつ方たちが、多数出演してくださいました。同じ立場にある私とのトークの中で、心を開き、のびやかに語っていただいた言葉が、聴取者の方々へと届いて、支援の輪が大きくひろがった嬉しいケースもあります。
 たとえば、さわやかな番組のテーマ曲は、佐久市在住の音楽家、土屋竜一さんの作品です。土屋さんは進行性の筋ジストロフィーと闘いながら、シンガー・ソングライターとして活躍してきましたが、気管切開を受け大切な声まで失いました。
 しかし、その後もスピーキングバルブを喉に装着して、結婚や、子供たちの誕生、新著の出版など、人生の節目ごとに番組で語ってくださいました。残念ながら、土屋さんは、一昨年にご逝去されましたが、私たちは、彼の残してくれた貴重な語りの音源をもとに特別番組を企画して、聴取者の皆さんと共に彼の人生を偲びました。

 私自身も、聴取者から声をかけていただき、スタジオを飛び出して、学校や地域で「お話の旅」を続けています。この頃は、私の越後瞽女唄の演奏を聴きたいと呼んでいただくことも増えました。
 このように、「里枝子の窓」は小さな番組ですが、回を重ねるごとに、語り手と聴取者、障害者と非障害者のバリアフリーの役割を果たしています。

ラジオにはできることがある

2012年5月 黒姫高原にて SBCラジオ「里枝子の窓」は、毎月最終週土曜日、午後4時から、4時30分に放送しています。インターネットラジオ「radiko.jp」を利用すると、当日お聴き逃しになっても、1週間以内であればタイムフリー機能でお聴きいただけます。radikoには、日本全国のラジオ局の番組を聴けるエリアフリーサービスもあります。
また、上田点字図書館のボランティアグループ「デイジー上田」では、毎年1年分の放送を収録したデイジー図書「里枝子の窓」を製作しています。このデイジー図書によって、番組の内容は全国の視覚障害の仲間に聞いていただけるようになりました。すでに20タイトルが製作されており、地域の点字図書館等を通してご利用いただけます。

「里枝子の窓」は「平成13年日本民間放送連盟賞・ラジオ放送活動部門・関東甲信越静岡地区」で、第1位に選出されました。その時、審査員の方々は、「このようなラジオ番組が全国各地にできて、障害の有る人と無い人が普段から交流できれば、私たちはもっと分かりあえるようになるだろう。それこそがラジオにできることではないか」と、口をそろえて言ってくださいました。
 私も以前から、障害者が自ら発信する番組が日本の各地で生まれてほしいと夢を抱いています。国連での「障害者権利条約」制定にあたってのスローガンは「私たち抜きで私たちのことを決めないで」でした。
 放送の分野でも、障害当事者が企画段階から参画し、自ら発信し、ネットワークを広げていくことが、非常に重要だと考えます。ラジオには、もっともっとできることがあると思うのです。

*「霊友会法友文庫点字図書館」会報掲載原稿。